ようやく冬らしく冷え込む日が続くようになってきた。
大雪も末侯となり、七十二侯では「鱖魚群(さけのうおむらがる)」の時期だ。
その名の通り、鮭が川を遡上する時候である。
海で育った鮭は自分の産まれた川に、産卵のために戻ってくる。
されど、戻ってきた川は、産まれた川と同じではない。
千年の昔に、その川の流れと無常という仏教の教えを重ね合わせて描かれた「方丈記」は、あまりにも有名である。
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
鴨長明「方丈記」
常に同じものはなく、すべてのことは二度と戻らないという、愕然とする事実。
昨日も、今日も。
時間は不可逆であり、川の流れと同じように、ただの一瞬も留まることはない。
わたしも、あなたも。
身体を構成するアミノ酸は常につくり変えられ、30日ほどですべて入れ替わる。
それを長明は、この世の儚さ、無常なるものとして畏怖していた。
世に中にある人とすみかと、またかくのごとし。
たましき都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
或は、去年焼けて今年作れり。
或は、大家滅びて小家となる。
住む人も、これに同じ。
所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見る人は、二三十人が中に、わづかに一人二人なり。
朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
同上
ある者は朝に死に、ある者は夕べに生まれる世の姿は、まるで水の泡のようだ、と。
「朝に死に、夕に生るるならひ」のくだりは、有名な蓮如上人の「御文章」を想起させる。
されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。
蓮如上人「御文章」
天災、疫病、戦争など、死が身近に存在した時代に生きた聖人の言葉は、数百年の時を経た現代において殊更に重く響く。
同じように陽が昇っているように見えて、今日は昨日と同じ日ではない。
昨日とは違う、こころもようを感じ尽そう。
昨日とは違う、道を通って帰ろう。
昨日とは違う、ごはんを食べよう。
昨日とは違う、風に吹かれよう。
昨日とは違う、内なる声を聴こう。
昨日とは違う、あなたを見よう。
昨日とは違う、今日このときを味わおう。
今日、いまこのときが、わたしの人生なのだから。
冬の夕陽は時にやわらかく、やさしく。