今日は二十四節気の一つ、「小寒」。
「寒の入り」とも言われ、これからさらに寒さが厳しく感じられる頃。
寒中見舞いが送り交わされるのもこの頃で、これから節分までの三十日間を「寒の内」と呼ぶそうだ。
実際にその通りで、暖冬と思っていたが昨日あたりから本格的に冷え込んできたようだ。
七十二侯では「芹乃栄(せりすなわちさかう)」。
春の七草のひとつ、「せり」が水辺に生えはじめるころ。
明日は、ごちそう続きで疲れた胃を休ませる七草がゆを食べる「七草」だ。
季節の移ろいは早く、澱まずに流れていく。
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今年は曜日回りがよかったせいもあり、今日が仕事始めだった。
多くの企業や官公庁もそうなのだろうし、逆にお正月が書き入れ時だった小売業やサービス業は、ようやくのんびりできる時期でもある。
私はこれまで、お正月が書き入れ時のサービス業も、曜日通りの休みの仕事も、どちらも経験してきたが、どちらもそれぞれによさがある。
某缶コーヒーのCMで、「世界は誰かの仕事でできている」というフレーズを思い出す。
どの仕事も、誰かにとって必要な、そして大切な仕事なだけなのだろう。
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昨日のエントリーで、「おとうさんと、すきなだけやきゅうがしたかったんだよね」という声なき声のことを書いた。
誰かに言いたいことは、自分に言いたいこと。
という法則の通り、それは小さな息子へ向けた声であるとともに、幼かった頃の私へ向けた声でもあった。
黙々と、延々と、家の前の壁に向けてボールを投げていた、小さな私。
妄想の中でプロ野球のスター選手になるのは、楽しかったのだろう。
けれど、それと同時に、やはり寂しかったのだろう、とも思う。
その楽しさと寂しさは、相反するものでもなく、同時に存在しうるものなのだ。
人と接するのが大好きな自分と、絶対的な孤独を好む自分が同居しているように、人の内面には矛盾した力が同時に働いている。
あの頃の私は、誰とキャッチボールをしたかったのだろう。
数少なかった友達だろうか。
私が運動神経が鈍くても、仲間に入れて欲しかったのだろうか。
それも、あるだろう。
けれど、やはり、
父とキャッチボールをしたかったのだと思う。
もっと。
もっと。
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あの時代に生きた多くの人と同じように、仕事人間の父だった。
365日止まることのない鉄道を相手に、していた。
元旦から、仕事に出掛けていった。
初詣客で混雑する駅に、応援に。
毎年届く年賀状が、うず高く積まれていたのを覚えている。
私が思春期を迎えるころには、北陸へ単身赴任で勤めていた。
父もまた、寂しかったのだろうか。
よく分からない。
けれど、父は父の生を、全うしたと思うほかはないような気がする。
父は、幸せな人生を生き切ったのだろう。
たまの休日に、近所の空き地でキャッチボールをしたのは、嬉しかったのを覚えている。
おそらくは、もっとしたかったのだろう。
そして、それをなかなか言えなかったのだろう、とも思う。
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結局のところ、その満たされない想いは、誰かから満たされることはない。
逆に、その満たされなかった想いをしている誰かに、それを与えることで、初めて満たされる。
自分が親にしてほしかったことを、自分の子どもにしてあげるといい
という金言は、そこから来ている。
究極のところ、愛する喜びは、愛される喜びを大きく凌駕するように。
愛されたいという欲求は、誰かを愛することでしか埋まることはない。
それは、自己犠牲であったり、見返りを求めて、愛することではなく、ただ純粋な喜びの中で愛するということだ。
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仕事始めの小寒の頃、父を想う。
それと同時にまた、次の休みに息子と野球をしようとも、思う。
乾いた冬空の雲は、雪のように。