季節は過ぎゆくに任せるほかない。
凍える冬に、夏を恋しがっても仕方ないように。
うだるような夏に、冬の寒さを欲しても得られないように。
その寒さに不満を言うよりも、
その暑さを嘆くよりも、
ただそれらが過ぎゆくに任せるほかない。
全部受け止める、全部認める。
それでいいんじゃないかな、と。
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暦の上では小寒に入り、一年で最も寒い大寒に向かおうとしているのだが、やはり暖冬のようだ。
例年のように、凍てつくような、頬を切るような寒さに、まだお目にかかれない。
そうこう言ううちに、七十二侯では「水泉動(しみずあたたかをふくむ)」。
地中で凍った泉が溶け出して、動き始めるとされる時期になった。
まだ本格的な寒さも来ていないのに、とは思うが、季節の移ろいは早い。
同じような冬の日でも、様々な一日がある。
冬晴れの日、風の強い日、曇りでお日さまが見えない日、冷たい雨の日…
それに怒ったり、嘆いたり、絶望したりしても、その一日の天気が変わるわけでもない。
同じような人生でも、様々な一日がある。
嬉しかった日、誰かに迷惑をかけた日、何かを失敗した日、恥をかいた日…
それも、空模様と同じように、どうこうしようとしても仕方がないのだろう。
とりあえずは、起こったことを、全部受け入れる、全部認める。
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それがどんなに、自分に不都合であり、不本意であっても、現状を否定することには意味がない。
降りしきる大粒の雨をどれだけ否定しても、青空を覗くことはできない。
それがどんなに、受け入れ難くても、間違っていると思っても、他人の言葉を否定することには意味がない。
あなたはそう思うんだね、と受け入れてしまうほかない。
ただ、それにわたしはこう思うんだよ、という接尾語をつけて。
わたしの観たい空を伝えるのなら、まずは今の空の色を受け入れることが先だ。
今日は、まだら模様の曇り空なんだね。
あなたは、そうなんだね、と。
そうなんだね。
それでいいんじゃないかな。
うん、それでいいよ、と。
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「諦める」の語源は、「明からしめる」、「明らかにして眺める」から来ていると聞く。
季節が移ろうのを眺めるのは、「諦める」ことに近いのかもしれない。
風に触れること、雨の音を聴くこと、雲の流れを眺めること、花の香りを楽しむこと。
現状を明らかにして、引き受けること、降参すること。
そして、それでいいよ、と諦めること。
ただ、過ぎゆくに任せるのみ。
蝋梅。冬の花は凛として。