大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

就職活動で連戦連敗だった私を救ってくれた、とある男の話。

「皆さんは、ジャイアンツが好きですか」

と、壇上の男性は語りかけた。

いや、こちとら生まれついての竜党なんだが、と私は心の中で思った。

「私は昔からジャイアンツファンでして、ファンの皆さんと同じように、巨人が勝つと嬉しいし、負けると悔しい。今年は優勝できるといいんですが」

と、その男性は続けた。

もっと「自己分析」とか「SPI」とか「社会人とは」、みたいな話を聞かされると思っていた私からすると、不意打ちを喰らったような感がした。

徹マン明けで眠たいはずの頭が、その壇上の男性に興味を示した。

ふと隣を見ると、私を誘ったはずの友人は、すでに舟を漕いでいた。

その学生時代の友人を、私は「タムチン(仮)」と呼んでいた。

タムチンは、以前にここで書いたカズト(仮)のつながりでの友人だった。

ボクシング部に所属していると言っていたが、私たちが会うのは、雀荘か居酒屋かパチンコ店のみ。

タムチンは、根っからのギャンブラーだった。

大物手を狙いすぎてよく大負けしたが、ハマったときは誰にも止められない爆発力を持っていた。

「賭場の負けは、賭場で癒すしかない」

などとアホなことをよく言っていた。

ある意味で、真実である。

損切りの上手い下手は、そのままギャンブルの勝率となって現れることが多い。

ギャンブルでよく負ける人(もちろん私を含めてだが)は、総じて損切りができないため、よく大ヤケドを負う。

それは、勝負事にのめり込んでしまい、全体把握ができなくなるからなのだろう。

「ボンクラ」とはよく言ったもので、「盆」(チンチロリンなどはお盆の上でするため、転じて賭場の意)が「暗」くてよく見えていないと、何度反省したことか。

翻って、タムチンはいつでも強気で、中途半端な撤退は彼の辞書にはなかった。

「え?ここまで負けてて、まだやめないの?」というところからも、タムチンはよく全力で突っ張った。

そこから人智を超えて天運に愛され、奇跡の生還を果たす彼を、何度も見た。

無論、大ヤケドどころか、火だるまになって炭と化してしまった彼も、よく見たのだが。

いずれにしても、気持ちのいい張り方をしていた。

そんなタムチンが、徹マン明けの吉野家で、珍しく学校に行こうぜ、と言う。

聞けば、就職活動をする学生向けの講演会があるらしく、名の知れた銀行の方が講演をするらしい。

「俺、バンカーになる」

バンカーと聞いて、ゴルフのことしか頭に浮かばなかった私は、相当に就職活動についてはボンクラだったのだろう。

その銀行家の講演会で、壇上に上がった男性がおもむろに話し出したのが、冒頭のジャイアンツのことである。

その男性は続けた。

「さて。ジャイアンツが勝つと、嬉しい。ジャイアンツが負けると、悲しい。では、ジャイアンツの勝敗を、みなさんはコントロールできるでしょうか」

徹マン明けの私の頭からは、眠気が引いていた。

「誰にも、そんなことはできないですよね。これは私の趣味の話なので、野球に興味が無い方にとっては、バカらしい、と思われるかもしれません」

タムチンは、相変わらず舟を漕いでいる。 
自分から誘っておいて、この図太さが彼の強さの秘訣なのかもしれない。

「でも、そのバカらしいことを、みなさんはジャイアンツ以外のことにしていませんか?自分ではどうしようもないこと、コントロールできないことを、悔いたり、悩んだりして」

確かにそうかもしれない。

ドラゴンズの勝敗をコントロールできないのは悩まないのに、なぜ未来のことや、自分以外の相手のことや、その他諸々のことには頭を悩ませるのだろう。

「この世の中で、コントロールできることなど、ほんのわずかなことかもしれません。でも、それは確実に存在します。自分のことです。自分が何をするかは、コントロールできる」

確かに、次に来る牌を好き勝手にコントロールすることはできないが、どの牌が来たときに、どの牌を捨てるかを決めることは、コントロールできる。

「就職活動をしていくと、思うようにならないことも出てくると思います。けれど、何がコントロールできて、何がコントロールできないか。それをしっかりと見極めて、コントロールできることに注力をするようにしてください。決して、ジャイアンツの勝敗に、ずっと心を囚われることのないように」

なるほど、と思った。

ドラゴンズの勝敗をコントロールしようとするような愚かなことを、他のことでは平気でしているのかもしれない。

結局、人はできることしかできないのであり、できることをするしかない。

単純な、そして明確な、真実。

さらに、その男性が続けたことが、興味深かった。

「蛇足ですが、もしコントロールできたとして、それは果たして面白いのでしょうか。たとえば私が石油王か何かで、無尽蔵な資金があって、ジャイアンツの勝敗をコントロールできたとしたら、どうでしょうか」

「金に糸目をつけず、オールスターのようなチームを組んだり、あるいは相手チームに賄賂を握らせて八百長を仕組んだりして、ジャイアンツが常に勝つようにコントロールしたら。おそらく、すぐに飽きてしまうのではないのでしょうか」

「そう考えると、もしかしたら、コントロールのできないことに、私たちは喜びだったり、あるいは生きる価値を見いだしているのかもしれませんね」

たしかに、結果がコントロールできるものなど、つまらなくてすぐに飽きてしまうのだろう。

コントロールしたいと願いながら、コントロールできるとなると飽きてしまう。

かくも、人の心理というのは、難しいものだと思う。

その話は、その後の就職活動で、連戦連敗を喫する私を救ってくれることになる。

採用・不採用は、私のコントロールできる範囲ではない、と。

誘ってくれたタムチンと、その講演会の男性には、感謝している。

さて、冒頭からずっと舟を漕いでいた当のタムチンは、公演が終わるとおもむろに起きて、こう言い放った。

「俺、やっぱりバンカーになるわ」

いやいや、聞いていたのかよ、と。

けれど宣言通りに、タムチンは卒業後にバンカーの道を歩んだ。

元気にしているだろうか。

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懐かしき銀杏。