清明。
春の陽射しの中、天地万物が清らかな明るさに輝く時候。
空の色が、弥生から明らかに変わった。
ぼんやりとした霞がかかったような色から、その青みの深さは、すでに初夏を思わせる。
季節はめぐる。
あるいは玄鳥至、つばめきたる。
暖かい南方で過ごしていたツバメが、農耕の季節を告げる。
薄いピンク色も、今が盛りのように。
時に、春に桜というものがなかったとして、この淡い桜色をあわせる空の色を、自由に選べるのだとしたら。
もしかしたら、七月の梅雨明けの空の色か、もしくは八月の入道雲を彩る紺碧か、そのような空の色を、合わせてしまうのかもしれない。
そんな浅はかな、私の思慮を笑うかのように。
桜は、ただこのぼんやりとした色の空を選んで咲く。
淡いピンクのトンネルをくぐりながら。
毎年毎年、今年の桜は早いと聞くと、せめて入学式までは咲いいてあげてほしいな、と思ってしまう。
今年は花冷えと雨が多かったせいか、長くその奇跡を楽しませてくれる。
されど、その「あるじ」たる子どもたちの声は、そこには、ない。
あまりにも有名な、道真公が大宰府で詠んだ梅の歌に、想いを重ねたくなる。
ツバメ来れば、思い起こせよ、桜の花。
あるじなきとて、新学期を忘れるなよ、と。
人類が久しぶりに直面する、「疫病」。
数百年に一度と云われる厄災を前に、当たり前が次々と崩れていく。
「そうあるはずだった」平行世界の清明に、想いを馳せる。
トンネルをくぐりながら、落涙する私に、やさしく手を差し伸べてくれるピンクの枝。
せめて、忘れないでいようと思った。
2020年の、清明を。
見上げれば、すでに葉桜も見えた。
季節はめぐる。
ただ、めぐってゆく。
清明が、やってくる。
清明が、去っていく。
ただ、忘れないでいよう。