大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

雨、桜、名残、蕾。

夕方から降り始めた雨は、夜半には本降りに変わった。

春の、嵐。

雨の音を聴きながら眠るのは、どこか懐かしい記憶を想起させる。

されど、それがいつの記憶なのか、よく分からない。

布団の中で聴く、屋根を叩く雨の音のあの感じは、実家の感じのような気もする。

目覚めると、雨はやんでいた。

桜が、気になった。

たとえば季節の食材を表すのに、「走り」、「旬」、「名残」がある。

その食材が出回り始めた時期を「走り」、脂が乗ったりしてその食材が食べごろを迎える最盛期が「旬」、そして旬が過ぎてもうそろそろ終わりを惜しむ「名残」。

「初鰹」という言葉に表されるように、「走り」を珍重する向きもあれば、「落ち鱧」のように名残を惜しむのも風情がある。

それでも、やはり重宝されるのは、「走り」なのかもしれない。

その貴重さや、季節を先取りする感じが、風流といえるのかもしれない。

あるいは、着物の柄。

その季節そのものの柄は野暮であるとされ、少し先の季節の柄を合わせることが好まれる。

四月の中旬も過ぎた今ならば、さしずめ桜というよりも、菖蒲だろうか。

めぐりゆく季節の、その先にいつも人は視線を合わせてきたのかもしれない。

それでも。

桜は、名残を愛でたくなる。

その散り際、花びらの吹雪を愛でながら、来年の再会に想いを馳せたくなる。

言い古されてきたことなのだろうが、どこか日本の死生観を体現しているような、その咲き方、散り方、その淡い色合い。

名残とともに味わう、寂しさと、愛しさ。

愛しさは、もちろん「かなしさ」と読んでもらっても構わない。

それは、強いモルトの余韻のような。

桜は、まだ咲いていた。

この雨で多くの花を散らしたようだが、それでも。

咲いていた。

時おり滴る雫が、どこか事後の気怠さにも似ていた。 

どの花も、お辞儀をしたように、下を向いていた。

けれど、一つの枝には、まだ蕾が残っていた。

風雨に耐えた蕾は、いつ咲くのだろうか。

曇天の空の下。

名残の桜、名残の蕾。

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名残の時期に蕾。