空を、見上げた。
青が、春先の霞がかったようなぼやけた色から、透明度を増したようだった。
また一つ、季節が進んだように感じる。
七十二候では、「霜止出苗しもやみてなえいずる」。
霜も降りなくなり、いよいよ苗が大きく育っていくころ。
田植えをしておられる知人たちも、田植えの準備に忙しくされている様子をSNSで拝見した。
私たちの祖先も、実りの秋に向けて、連綿とこの季節に田植えをしてきたのだろう。
希望を、胸に。
歩いていると、満開のツツジが一斉にこちらを覗いてきたような錯覚に陥った。
ツツジが花開きだすと、風も薫るように感じる。
いよいよ、春から初夏へ。
見上げれば、薫る風に泳ぐ、真鯉と緋鯉。
そういえば、もう端午の節句も近いことも、忘れていた。
鎧兜も、そろそろ押し入れから引っ張り出さないと。
何かと騒がしい世相に心を奪われがちだが、ほんの半径数メートルの変化に目を凝らしていると、心は不思議と落ち着く。
今年も見事な情景を見せてくれた桜並木も、もう緑一色に。
緑一色と書くと、リュウイーソーと読んでしまうのは、学生時代の後遺症なのだろう。
…などと、アホなことを考えていると、ふと、まだ咲いている桜がないか、探したくなった。
川沿いの桜を、一本一本、眺めて歩く。
あった。咲いていた。
まだ、咲き誇っていた。
日当たりの悪い、並木の隅の方で。
されど、周りが散った後で、その小さな花弁は、ひときわ美しく見えた。
名残の桜の、さらに、名残。
けれど、この桜は、最も遅く咲いた桜なのだろう。
その桜が、最後まで咲き誇る。
早い遅いなど、気にしなくていい。
時が満ちれば、ただ、咲くのだ。
遅いことは、何も恥ではない。
その小さな桜は、雄弁に語っていた気がした。