大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

いつか、どこかで。

白が、お辞儀をしていた。

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カメラの日付を見ると、5日ほど前らしい。

紫の蕾が、生きものの手のようにも見えた。

ふと、同じ場所を今日通りかかったところ、白にその紫が加わっていた。

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お辞儀をしていた背も、まっすぐに天を向いていた。

何も変わっていないように見えて、日々移ろいゆく季節。

その花は、春紫苑、ハルジオンという名だそうだ。

春に咲く、紫苑。
花言葉は、追憶の愛。

追憶、という言葉に、私はいつも感慨を覚える。
別離と寂しさというのは、私の中で特別な意味を持つ。

さりとて、いったい私たちは、忘れるということができるのだろうか。

今生ではもう会えない別れがあったとして、忘れることができるのだろうか。

いつか、どこかで。

また、会えるような気がするならば。

忘れるということは、できはしないようにも思う。

それは、ボウルの中に割ってかき混ぜた卵から、一つだけを取り出すことができないように。

その天を向いた春紫苑の白と紫が、不可分なように。

忘れるということもまた、不可能なように思う。

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巡る季節のように。

いつか、どこかで、また。