大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

藤棚を見上げて、過ぎた時を想う。

時に、清明も末侯。
鴻雁北、こうがんかえる。

春になると見かけるツバメと入れ替わりに、渡り鳥の雁が北国に帰っていく時候。
冬から春へと、いろんなものが入れ替わっていく時期なのだろう。

外を歩くと見かける花の色も、ずいぶんと変わってきたように思う。

春の初めの頃は、白や黄色の花が目についたが、その後は桜が咲き誇り、そしていまは紫や青の色が増えてきた。
この紫や青の系統の色を見ると、皐月を想う。
アヤメやアジサイを思い出すからだろうか。

そんなことを考えていると、近所の公園のベンチの上には、藤が咲いていた。
青空と、新緑の色と、そして藤色と。

ぼんやりと、そのコントラストを眺めていたくなる。

不意に、ブーンと大きな羽音が聞こえる。
黒と黄色の丸いフォルム、クマバチだった。

藤の花に誘われたのだろうか、この季節によく見る気がする。

大きな身体と羽音は少し怖いものだが、クマバチは温厚な性格と聞く。

ぶんぶんと飛ぶクマバチを眺めながら、故郷の藤棚を思い出す。

故郷の菩提寺の、ほどちかくの公園には、大きな藤棚があった。

毎年4月の末の時期になると、大型連休にあわせて「藤まつり」が開かれる。
屋台や出店が出て、多くの人でにぎわう。

藤棚の下で、レジャーシートを敷いて、お弁当を食べる人がいたり。
昔は、バーベキューなどもしていたように思う。

父が、会社の人を呼んで、宴会を開いていたような記憶がある。

お酒と料理を前に、皆が笑っていた。
幼い私は、父の会社の人にキャッチボールをして遊んでもらっていた。

家族色の強い、昔の会社の行事のようなものだったのかもしれない。
いまは、そんなこともしないのだろうか。

あの藤棚の下、たくさんの人が集まって、よく笑っていた。

多くの人と話す父は、どこかいつもの父と違っていた。
休日ではあっても、家では見せない、会社の中での仕事をする父の顔だった。

お酒も入っていたせいも、あるのだろうか。
よく、笑っていたように思う。

すべてが、そこにあったようにも思えた。

ふと、見上げる藤の色に、そんな時間を想う。

ぶぶん、とクマバチは相変わらずホバリングしている。

春の陽射しが、少し眩しかった。

その思い出が、虹色に光るまで。
もう少し、磨いていようと思った。

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