大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

桜の散り様が美しいように、しおれたツツジもまた美しい。

季節の流れは、ひと時も「そこ」に留まらない。

5月の初めまで咲いて楽しませてくれた桜の花は、いまはもう新緑の緑に包まれている。

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言い尽くされてきたことだが、桜の花の美しさの理由の一つは、その散り際にある。

一斉に春を告げたかと思うと、何の未練もないように、その花を吹雪にして散らす。

その潔さが、これまで私たちの心に深く刻まれてきたのだろう。

そして、桜の花と入れ替わるように、咲き始めたツツジの花も、早いものはもうその花びらがしおれてきていた。

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ツツジは、桜と異なり、その花を自ら散らすことができない。

生命力の翼のようなその花弁が、しおれて皺だらけになろうとも。

いつまでも、そこに留まり続ける。

それは、桜の体現する潔さとは対極にあるのかもしれない。

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されど、ツツジはツツジであるからこそ、自ら花を落とせない。

桜になる必要もなく、薔薇になろうともせず。

しおれたその花弁をつけたまま、そこにいる。

立夏を過ぎ、梅雨の足音が聞こえてきても、その花は小さく首を垂れている。

潔さも、そこに居続けることも。

変わらず、美しい。

変わらず、ただそこにある。

それは、桜が桜であり、ツツジがツツジであるから。

誰かの光が美しいように、あなたの光もまた美しい。

誰かがあなたになれないように、あなたもまた誰かになれない。

あなたは、あなた以外にはなれない。

あなたは、あなたであるから美しい。

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ツツジの3密。