さて、 先般よりこころ惹かれている「プロ野球チップス」である。
2020年第3弾も終売に近いが、いまは野球日本代表の「侍ジャパンチップス」が発売されており、コレクターには忙しい日々が続く。
そんな折、以前に息子が昆虫採集でお世話になったクワガタ先生や、その同僚も集めていることの情報を得た。
クワガタ先生は、生粋の広島東洋カープファンである。
また同僚の彼は、福岡ソフトバンクホークスの某選手と旧知の仲だそうで、ホークスファンである。
侍ジャパンチップスには、広島やソフトバンクの選手がたくさん選ばれているので、その2チームのカードが出ると、彼らにプレゼントしている。
なお、我が中日ドラゴンズからは、侍ジャパンチップスには大野雄大投手のみと、寂しい構成なのが悔しい。
そのお返しとばかりに、中日のキラキラカードを頂いてしまった。
2012年度版の、山﨑武司選手のサイン入り。
今となっては貴重な、レアカードである。
ありがたい。
またひとつ、宝物のアイテムが増えた。
クワガタ先生は、貯まってきたダブりカードを、球場に行ったときに野球少年たちに配ろうかな、と言っていた。
未来のカープを担う逸材がいるかもしれないから、と笑っていた。
先の長い話だが、なんとも微笑ましい。
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一人で楽しむのもいいが、みんなで楽しみを共有するのは、また素晴らしいものだ。
自分がお目当てのレアカードを引き当てたときの喜びもひとしおだが、誰かが喜びそうなカードを引き当てたときの嬉しさは、格別だ。
人は、誰かを喜ばせた時に、最も大きな喜びを感じる。
いや、もっと言うならば、「誰かを喜ばせることができる」と感じたときに、大きな喜びを感じる。
それは、相手の反応とは関係がないのかもしれない。
誰かが喜んだという「結果」と、自分の内面の「喜び」を混同しがちだが、実はそこの間には、何の関係もない。
たとえ、「ああ、そのカードはもう持ってるから、要らないよ」と言われても、「そっかー、ざんねん!また別のカードが出たら、声かけるよ」という反応になるように。
その延長線上に、無償の愛というのは存在するのだろう。
そして、実際のところ。
「誰かを喜ばせることができる」というのは、レアカードを持っているかどうかには、関係がない。
何かを「する」ことや、「与える」こと、「目に見える」ことが、相手を喜ばせることができると思いがちだけれど。
ほんとうのところ、そうではない。
ただ、そこにいることだけで、私たちは誰かを喜ばせることができる存在なのだろう。
生まれ落ちた瞬間に、周りの人を喜ばせたように。
一人もいいけど、みんなで。