よく晴れた春の日、満開の桜が空を染めていた。
川沿いの桜並木を、息子と娘と歩いた。
息子は、たいそう桜を喜んで愛でていた。
その姿を見て、私は何歳くらいから桜という木の持つ特異性、すなわちその美しさ、はかなさ、そして強さを認識していたのだろうと考える。
この日本で暮らしていると、それらはやはり他の樹木とは異なった情緒を想起させるように思う。
「今年の桜は」という家族の何気ない会話か、それとも入学式、卒業式を彩る淡い色に、何かを重ね合わせたのだろうか。
息子の中でも、すでに桜という木は特別な意味を持っているのだろうか。
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ふと、息子は桜を家に持って帰りたがった。
その美しさを、家でも愛でたいと思ったのかもしれない。
あるいは、その色を一人でゆっくりと眺めたいと思ったのかもしれない。
みんなの桜だから、あるいは、摘んだら可哀そうだから、といって諭そうとするが、息子はなかなか納得しない。
強情になる分だけ、彼にとっても桜は特別な意味を持つのだろう。
果たして、私は折れた。
ごめんね、という贖罪とともに、そっと一輪のそれを摘んだ。
息子はたいそう喜び、そして大事そうにいそいそと帰路を急いだ。
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小さな皿に活けた一輪の桜は、陽の光の下とはまた違った趣があった。
花弁の色が、先ほどまで眺めていた色よりも、薄く見えた。
しげしげと息子はそれを眺めていた。
けれど、翌朝にはその花弁はしなびてしまい、やがて皿に張った水の中に漂っていた。
特に息子は何も言わなかったし、
私も何も言わなかった。
その役目を終えた花弁をそっと片づけた。
それ以来、息子は桜を持ち帰りたいと言っていない。
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桜の花弁は、愛にも似ていた。
それを摘んでしまえば、眺めていたものではなくなる。
それを自分のものにしてしまえば、とたんに色褪せる。
そのままにしておくこと。
ただ、そのままを愛でること。
それをどうにかしようとしてするならば、まったの徒労に過ぎなくなる。
ただ咲く。
ただ散る。
桜の花弁は、愛にも似ていた。
特別な意味を持つところも、また似ているのかもれない。