四季を味わう、という観点からすれば、梅雨の時期には雨の音を楽しむのが雅というものだろう。
されど、晴れた空の気持ちよさは、やはり何物にも代えがたい。
週間天気予報が雲と傘で埋まる中で、奇跡的によく晴れた文月の日。
一宮市は真清田神社を再訪した。
朝の8時過ぎくらいに着いたのだが、夏の色をした空と心地よい風が迎えてくれた。
夏本番でも、これくらいの暑さなら…と思ってしまうが、それはそれで物足りなく感じるのだろうか。
前日の夜まで降っていた雨の気配はどこにもなく、かすかに参道の路面が濡れていた。
駐車場に車を停めてから、やはりこの楼門から入ろうと思い、一度境内を出る。
この楼門の雄大さは、青空がよく似合う。
境内から楼門の外側を望む。
鳥居の奥に、駅前の商店街が見える。
この真清田神社とともに、歴史を刻んできた街並み。
玉砂利の音が響く。
地元の方らしい参拝客が数人、拝殿へと歩いていく。
毎朝のルーティンにされているように感じる、自然さ。
鳥の鳴き声、木々のざわめき、玉砂利の音。
この微かな音たちが心地よくて、神社が好きだ。
本殿には七夕の装飾が。
一宮という土地が繊維業で発達したという歴史から、「織姫」の出てくる七夕は特別な意味を持つらしい。
そういえば、もう来週が七夕だった。
季節のめぐりは、本当に早い。
同じ境内の服織神社も、七夕の装い。
もうすぐ来る七夕を想い、こちらでも手を合わせる。
境内を歩きながら、先の桃の季節にこの真清田神社を訪れたことを思い出す。
あの時は、緊急事態宣言が出され、先の見えない感染症拡大に、緊張した世相だった。
仕事で近くまで訪れたのだが、それでも自粛ムードに、外出することにすら罪悪感のようなものを感じ、重たい気がしたものだった。
そこから、3か月ほど。
どんな時でも、時は流れ、季節は流れていく。
それは時に残酷であり、時に救いでもある。
今日、こうしてまた気持ちのよい青空の下、参拝に来れたことを嬉しく思う。
私が好きなシルエットの木を眺めていたら、スーツの上からヤブ蚊に食われてしまった。
この痒みもまた、夏の風物詩なのだろう。
これ以上食われるのは勘弁願いたく、私はまた境内を歩き出した。