大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

祈る、ということ。 ~愛知県一宮市「真清田神社」訪問記

定期的に一宮を訪れる用事があるのだが、その度に真清田神社に寄る。

少し早めに家を出て、その空気を吸いに。

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ここのところ、気持ちのいい秋晴れの日が続く。

振り返れば、鳥居から一宮の街が覗く。

かつて繊維業で栄えた、古い街並み。

玉砂利の音を聞きながら、空を見上げる。

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楼門は、今日もその雄大な姿を湛えていた。

ここから見上げるのが、好きなのだ。

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春に咲いていた桃の花も、いつかしか冬の支度をしているようで。

あれは、緊急事態宣言とやらが出ていた4月頃だっただろうか。

びっくりするほど街から人が消え、それでいて緊張感が張り詰めていた。

生きていると、いろんな経験をするものだ。

そんな中、桃の花は変わらず咲いていた。

そのピンクと赤の色に、怯えるこころを慰められたのを覚えている。

結局のところ、目の前のことを一つ一つこなすことこそ、心の安寧をもたらすのかもしれない。

それは、日常の細部を見つめる、とも言い換えられる。

傷ついたとき、不安になったとき、怒りに震えたとき、こころが揺れるとき。

自分の足元の、ほんの細部を見つめることだ。

見知らぬどこかの誰かの何かよりも、よっぽど安寧と癒しをもたらしてくれる。

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本殿は、もう七五三の装い。

そういえば、もうすぐ霜月だ。

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神社に来ると、水に手を濡らす。

玉砂利の音を聞く。
空を見上げる。
深呼吸する。
頭を下げる。
目を閉じる。
手を合わせる。

そうしたことの一つ一つが、丁寧に細部を見つめる、ということかもしれない。

ときにそれは、「祈る」とも言い換えられるのだろう。

願望成就だけが、祈りでもないだろう。

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境内になっていた赤い実を見上げながら。

秋の陽光に、もう少し包まれていたいと思った。