定期的に一宮を訪れる用事があるのだが、その度に真清田神社に寄る。
少し早めに家を出て、その空気を吸いに。
ここのところ、気持ちのいい秋晴れの日が続く。
振り返れば、鳥居から一宮の街が覗く。
かつて繊維業で栄えた、古い街並み。
玉砂利の音を聞きながら、空を見上げる。
楼門は、今日もその雄大な姿を湛えていた。
ここから見上げるのが、好きなのだ。
春に咲いていた桃の花も、いつかしか冬の支度をしているようで。
あれは、緊急事態宣言とやらが出ていた4月頃だっただろうか。
びっくりするほど街から人が消え、それでいて緊張感が張り詰めていた。
生きていると、いろんな経験をするものだ。
そんな中、桃の花は変わらず咲いていた。
そのピンクと赤の色に、怯えるこころを慰められたのを覚えている。
結局のところ、目の前のことを一つ一つこなすことこそ、心の安寧をもたらすのかもしれない。
それは、日常の細部を見つめる、とも言い換えられる。
傷ついたとき、不安になったとき、怒りに震えたとき、こころが揺れるとき。
自分の足元の、ほんの細部を見つめることだ。
見知らぬどこかの誰かの何かよりも、よっぽど安寧と癒しをもたらしてくれる。
本殿は、もう七五三の装い。
そういえば、もうすぐ霜月だ。
神社に来ると、水に手を濡らす。
玉砂利の音を聞く。
空を見上げる。
深呼吸する。
頭を下げる。
目を閉じる。
手を合わせる。
そうしたことの一つ一つが、丁寧に細部を見つめる、ということかもしれない。
ときにそれは、「祈る」とも言い換えられるのだろう。
願望成就だけが、祈りでもないだろう。
境内になっていた赤い実を見上げながら。
秋の陽光に、もう少し包まれていたいと思った。