さて、断酒も617日目になった。
特に何か変化もないが、さりとてそれを書き残しておくのも、大切な定点観測のようにも思う。
変化とは、自らの目に映るものだけでもないだろう。
変化がないのも、変化のうち。
そう考えると、諸々の見方が変わる。
急がなくなる、とでも表現しようか。
あるいは、変化している、という前提で見ることもできる。
もし、変化しているとしたら、どこが変化しているのだろう、と。
この視点は、非常に大切だ。
なにしろ、自らの身体を構成するアミノ酸は、30日ですべて新しいものに入れ替わるという。
何もしなくても、30日後には全く新しい個体に変わっているとも言える。
ときに断酒も、同じことかもしれない。
何もしなくても、時を重ねるだけで変わるものもある。
変わっていくことを、受け入れること。
自分の内なる変化を、認めてあげること。
それは、目に見える何かが変わったとか、
あるいは何かができるようになったとかではなく。
そうではなくても、
ただ、時を重ねることを許すこと。
ときにそれを、熟成と呼ぶのだろう。
そして、ときにそれを、自分を愛することと呼ぶのだろう。
旬の水茄子のぬか漬けを、生姜醤油で。