大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

雨と音と記憶と。

雨が降ると、音がする。

傘を叩く音。

その音符。

木々の葉に触れる音。

そのざわめき。

土に吸い込まれていく音。

そのやわらかさ。

雨が降ると、音がする。

音がすると、思い出す。

たとえば、ある音を聴くと、ある種の記憶がありありと思い出されたりする。

記憶というものは、「音」と密接に結びついている。

それは、

スパイクが土を噛む音だったり、
玄関のドアを開ける音だったり、
鍋の煮える音だったり、
あるいはブランコの軋む音だったり。

人それぞれに、その「音」を聞くと思い出す記憶がある。

その記憶は、自らの内に眠っているのだろうか。

普通に考えると、いつかどこかで得たその記憶は、自らの心の奥底のやわらかな場所に仕舞われているように思える。

けれど、もしも、それが「音」に宿り、仕舞われているのだとしたら。

降りしきる雨の音。

時に三連符のように規則的で、時にばらばらと不規則で。

その「音」。

それは、いつかどこかの、誰かの記憶かもしれない。

その「音」は、誰が与えてくれた贈り物なのだろう。

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雨に濡れて。