ファンファーレが鳴り、拍手が起こる。
この秋のシーズンを最後に改装に入る京都競馬場、その改装前の最後の菊花賞。
コロナ禍による入場制限がなければ、どれくらいの入場者数を記録したのだろう。
春の二冠馬・コントレイルと福永祐一騎手による、無敗の三冠への挑戦。
その扉が、開く。
逃げ宣言のキメラヴェリテを、セントライト記念を逃げ切ったバビットが追いかける展開。
3番枠から好発を決めたコントレイルは、先行集団の5,6番手を追走する。
内の荒れた馬場を避けて、各場はちょうど馬場の3,4分どころを通って1周目のスタンド前を通過していく。
淡々としたペースに、コントレイルはやや行きたがっているように見える。
前走の神戸新聞杯ではぴたりと折り合っていたが、本番仕様の極限の仕上げで余裕がないのだろうか。
それとも、やはり3,000mは本質的に長いのか。
福永騎手の手と膝が動き、コントレイルは時折頭を上げ、ハミを噛んだままのように見える。
外にはぴたりとクリストフ・ルメール騎手のアリストテレスがマークしており、馬群を出すことも難しい。
コントレイルにとっては、厳しい形になった。
決して適距離ではないであろう淀の3,000m、そして厳しい展開。
かつて、同じように無敗三冠に挑み敗れた、ミホノブルボンが思い出される。
掌に、いやな汗が滲む。
じりじりと焦れるような向こう正面。
3コーナー、2度目の坂を越えて下っていく。
コントレイルは前にいたディープボンドの外目をついて進出、直線を向いて馬なりで先頭を窺う。
しかし、アリストテレスがその外からついてくる。
同じ、脚色。
先に鞭を打ったのは、福永騎手。
それを見て、ルメール騎手も追う。
その差、半馬身。
こういう形の場合、後から追い出す方が有利だ。
大丈夫なのか。
しかしその半馬身が、縮まらない。
息が止まるような追い比べは、その半馬身の差のまま、ゴール板を通過した。
なんとか紙一重で凌いだ、という表現がぴたりと来るような、辛勝だった。
コントレイルにとっては、これまでで最も苦しい内容だったのかもしれない。
けれど、得意ではないであろう長距離で、かつ正攻法の競馬で、徹底的にマークされながらも、勝ち切った。
そしてそれは、無敗での三冠達成を達成する勝利となった。
いつか、2020年、令和2年という年を振り返ったときに、真っ先に出てくるのは何だろう。
おおよそ100年ぶりに、人類が体験した世界規模の感染症だろうか。
それとも日の目を見ることなく延期となった、東京五輪だろうか。
あらゆる人々に多大な影響を及ぼし、そして転換点となった年であることは、論を俟たないのだろう。
そんな年に、三冠馬が出るのは、どこか象徴的なように思う。
それも同じ年に、牡馬牝馬同時に、そしてその両方が無敗で、さらに牡馬の方は父と同じ無敗三冠を達成するなど、誰が想像しようか。
長い日本競馬の歴史の中で、たった2頭しか成し遂げていなかった無敗の牡馬三冠。
昭和59年、「皇帝」シンボリルドルフと岡部幸雄騎手。
平成17年、「英雄」ディープインパクトと武豊騎手。
そして、令和2年。
そのディープインパクトの遺したコントレイルと福永祐一騎手が、その偉業を達成した。
父子揃っての、無敗の三冠制覇。
同じ時代に生き、その偉業に立ち会えたことは、僥倖この上ないというべきなのだろう。
何よりも、歴史上たった二人しか味わったことのないプレッシャーをはねのけた福永騎手には、賛辞しかない。
思えば、彼もまた偉大な父のもとに生を受けていた。
けれど、それだけに苦しんだであろうことは、想像に難くない。
偉大すぎる父性との、葛藤。
しかし、2018年のダービーをワグネリアンで制してから、彼の手綱は変わったように思う。
どこか、肚をくくったような、観ている者の背筋をゾクリとさせるというか、凄みの感じられる騎乗。
コントレイルの皐月賞などは、その白眉だろう。
偉大なる父の跡を辿り、無敗三冠を達成したコントレイル、その背にいたのが福永騎手というのが、どうにも美しくて仕方がないではないか。
ゴール後、馬上で流す涙を見たのは、ワグネリアンのダービー以来だろうか。
美しい、涙だった。
「競馬とは大いなるマンネリである」、と言われる。
けれど、無敗三冠の牡馬と牝馬が同じ年に誕生するなど、生きているうちには拝めないような気もする。
無敗の三冠。
すぐに、ファンはその先のストーリーを夢想してしまうけれど、まずはその偉業を見られたことの喜びを噛み締めよう。
大いなる偉業を達成したチーム・コントレイルの皆様には、心から感謝を伝えたい。
おめでとうございます。
そして、ありがとうございました。