駐車場に着いたときには、もう陽が高かった。
一宮市は、真清田神社。
春先に同じ時間に着いたときは、まだ早朝の空気があったのだが、さすがに8月のこの時期は勝手が違う。
境内には、もう暑気と呼べるような空気が満ちていた。
お盆を過ぎてから、夏が本気を出してきたような暑さが続く。
今日も、暑くなりそうだ。
やはり正面の楼門から入りたいと思った。
強い陽射しは、楼門を輝かせるようで。
ぼんやりと、その雄大な姿を見上げていた。
汗が、頬を伝う。
境内から楼門を望む、この風景が好きだ。
鳥居の先に、一宮の街が見える。
真清田の神さまとともに歩んできた、この地の歴史を想う。
本殿を前に。
夏空の青さが、目に沁みる。
地元の方と思わしき女性の方が、手を合わせて祈りを捧げ、そして去っていく。
完全に日常の中の一コマになっているようで、とても美しい所作だった。
その女性の後で、私も手を合わせる。
少し、境内を歩く。
玉砂利の音が、心地よい。
なぜ、神社を訪れると、こうして手を合わせ、時に祈るのだろう。
よく分からないけれど、それをしてしまう。
不思議なものだ。
それでも、いまの世にこうして残っていることは、意味があることなのだろう。
おそらくは、意味のないことを、人は続けない。
それが何の意味を持つのか、分からなかったとしても。
いや、分かったところで、同じなのかもしれない。
ただ、それをする。
それは、生きることに、どこか似ている。