夕方から、目の奥がチリチリと嫌な感じがしていた。
この感じは、頭痛の前兆だ。
こういうときは、早めに休みに限る。
朝起きても、目の奥のチリチリと頭痛の気配はおさまっていなかった。
その日は、所用の前に、久しぶりに熱田神宮を訪れようと思っていた。
どうしようか逡巡したが、やはり訪れることにした。
市内の道もそれほど混まず、たどり着くことができた。
早朝の正門を望む。
どこか、背筋が伸びる。
早朝の参道は、気持ちがいい。
深呼吸をして、ことさらゆっくりと歩く。
人気が少ないのが、いいのかもしれない。
そうかと思えば、たとえばダービーや有馬記念の密集した人の熱気もまた好きだ。
感染症対策で、しばらくは密集したイベントはできないだろうけれど。
つながりと、孤独と。
不思議なものだ。
秋の朝の、やわらかな日差しと。
もう、背広の下は半袖では肌寒い。
気付けば霜月なのだから、それはそうだ。
遠くで、鶏の鳴き声が聞こえる。
まるで「コケコッコー」のサンプルのような、見事な鳴き声。
参道を歩いていくと、その主がいた。
私の目の前で、身体を震わせ、また大きくその鳴き声を聴かせてくれた。
こちらを覗くその瞳に、
目覚めよ。
そう言われているような感がした。
弘法大師の御手植えとされる、大楠。
千歳の樹齢を数えるという。
今日もまた、雄大なその姿を見せてくれていた。
よく、晴れていた。
雨の神社もまた趣深いが、晴れの神社はやはり素敵だ。
参拝客もほとんどいない、本宮。
ここが名古屋の真ん中だということを忘れるような、静かな時間が流れる。
本宮の近くの樹木。
苔がつくる美しい色彩に、しばし見惚れながら。
深呼吸を繰り返す。
遠くで、またあの鳴き声が聞こえる。
その主のいた参道に向かって、また歩き出した。
目の奥のチリチリと、頭痛はまだ残っていた。
それもまた、生きていることの証のようにも思えた。