大嵜直人のブログ

たいせつな何かをなくした心に、ともしびを。

水と追憶の熊野路をゆく ~和歌山県東牟婁郡「飛瀧神社・那智御瀧」訪問記

時に、「何かに呼ばれた」としか言いようがない旅がある。

 

なぜか、その地名を目にしたり、耳にしたりすることが重なったり、誰かに誘われたり、あるいはどうしてか、そこが気になって仕方がなくなったり。

 

私にとっては、熊野がそのような地だった。

 

2年半ほど前、なぜか熊野の地名を目にしたり、あるいは熊野本宮の八咫烏のことを耳にしたりすることが重なり、「熊野」が気になって仕方がなくなった。

 

その導きに任せて、熊野三山を訪れ熊野古道を歩いた

 

それまでに熊野を訪れたことはないように思うのだが、どこか懐かしく、それでいて、どこか畏れ多い感じのする地だった。

 

その一年後に、また熊野を訪れ、玉置山から十津川村を旅した

 

訪れたから、特別な何かあったという訳ではない。

 

けれど、訪れてよかったと思う。

 

そこで目に映った風景、そこで吹く風の手触り、そこで聴いた鳥の声は、たいせつにどこかに仕舞われているような気がする。

 

おそらく、生きるとはそんなことの積み重ねなのだろうと思う。

 

そして今年、また熊野を訪れる機会に恵まれた。

 

 

名古屋から、東名阪、伊勢道紀勢道を通って、さらに41号線を南に下る。

 

一昨年、去年と通った道だが、改めて遠いところだと感じる。

 

その長い道のりに、歩いて熊野詣をしていた時代の参詣者をあらためて想う。

 

この山深き道を、古き時代の彼らは、どんな面持ちで歩いていたのだろう。

 

悲壮感よりも、希望を胸にして、歩いていたようにも思う。

 

一歩、また、一歩。

 

この踏み出す一歩が、熊野権現への参詣へとつながっている。

 

進んでいると実感できるとき、人のこころは折れないものだ。 

 

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ようやく熊野市街までたどり着き、七里御浜を望む。

 

昨年の5月に訪れた際は、青空に大量の鯉のぼりが泳いでいた。

 

今日は、出発のときは晴れていたが、徐々に雲が厚くなってきていた。

 

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獅子岩は、今日も雄大にそびえていた。

 

かの神武東征の伝説が伝わる、熊野灘

 

東征した神武天皇は、河内・大和を治めていた長髄彦(ながすねひこ)に苦戦し、「日の神の子孫なのに、太陽に向かって行軍することが誤りだった」ことに気づき、太陽を背にするために迂回して熊野灘から上陸したと記紀神話は伝える。

 

そんな灘を望みながら、熊野路をゆく。

 

椰子の木が立ち並び、「一年中みかんの取れる町」という看板。

 

ずいぶんと南に来たことを知る。

 

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名古屋から約5時間。

 

ようやく、目的地の熊野那智大社別宮・飛瀧神社に着く。

 

那智の滝」として知られる、日本三名瀑の一つとして数えられる滝。

 

一昨年、熊野三山をめぐる旅で、熊野那智大社は訪れたが、この大滝はその那智大社から遠く眺めるだけだった。

 

今回、はじめて訪れることができた。

 

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那智大瀧」を記した石碑も、苔むして。

 

空からは、ぽつりぽつりと雨粒が落ちてきてきた。

 

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白さに吸い込まれそうになる、御瀧への入り口となる鳥居。

 

車を停めたところから、瀑布の音がずっと鳴り響いている。

 

それは、どこか暖かで落ち着くような、そんな響きだった。

 

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鳥居をくぐって、石段を下へ。

 

群馬県に住む知人が、地元の「一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)」という神社は、石段を下ったところに社殿がある「下り宮」と呼ばれている、と言っていたのを思い出す。

 

神棚は家の中の高い場所に置くように、神様を祀る場合、普通に考えれば高いところに祀る。

 

けれど「一之宮貫前神社」は、そうではない、と。

 

会社を経営するその知人は、平月は会社の近くにある「榛名神社」に参詣するが、仕事の上で何か思わぬこと、不具合や不都合があると、その「下り宮」を参詣する、と言っていた。

 

スポーツ選手のゲン担ぎのようなもんですよ、とその知人は語っていたが、そうさせるものが、何かあるのだろう。

 

かの出雲大社も、参道から本殿に至る道は下っていると聞く。

 

出雲大社の祭神といえば「大国主神(おおくにぬしのかみ)」、記紀神話の世界では、天津神に「葦原中国」を譲ったとされる、国津神の筆頭である。

 

熊野から戻って知ったのだが、この飛瀧神社は滝そのものを「大己貴命(おおむなちのみこと」が現れた御神体として祀っているという(熊野那智大社 社殿案内(那智御瀧))。

 

そして、「大己貴命(おおむなちのみこと)」とは、「大国主神(おおくにぬしのかみ)」の別の御名とされる。

 

知人が語るところの「一之宮貫前神社」を調べると、御祭神は「経津主神(ふつぬしのかみ)」と「姫大神(ひめおおかみ)」で、「経津主神」は天津神とされるが、御由緒を見ると「物部姓磯部氏」の名がある。

 

蘇我氏と崇仏論争で対立して敗れたとされる、物部氏

天津神へ「国譲り」をしたとされる、大国主神

 

下っていく参道には、何か関係があるのだろうか。

 

「下り宮」で調べると、「日本三大下り宮」というものがあるらしく、前述の群馬県一之宮貫前神社のほかに、熊本県草部吉見神社、宮崎県の鵜戸神宮があるそうだ。

 

出雲、九州、上野国

 

どこか、古代日本の政争を想起させる地名ではある。

 

いずれにしても、この話に出てきた出雲大社一之宮貫前神社を、いつか訪れてみたいと思う。 

 

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秋の装いをはじめた木々を愛でながら、下っていく。

 

黄色の点描が、美しく。

 

ぽつりぽつりと、雨粒が頭上を叩いていた。

 

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石段を下りきると、絶景だった。

 

滝壺までの落差、133メートル。

 

圧倒的な、その存在感。

 

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水が落ちる轟音に、しばし歩みを止めて見上げる。

 

とてもあたたかな、それでいてやわらかな、その音。

 

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霧のように立ち上る水しぶきは、境内じゅうに舞い上がり。

 

その水は、やがてまた雲となり、那智の山々に降り注ぐのだろう。

 

その水はまた、地中に潜り、この那智の山々の木々にいのちを与え、そして流れ出て、滝となる。

 

連綿と繰り返されてきた、いのちの営み、めぐり、あるいは、輪廻。

 

生命力、血、セクシャリティ、いのち、たましい。

 

なつかしいような、どこか帰ってきたような、そんな感覚を覚える。

 

記憶というものが、ものに宿るとして。

 

そのしぶきの一抹に、いつか、どこかの記憶が宿っているのかもしれない。

 

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水は生命の母と申し、那智山信仰の根元でもあります。古来、延命長寿の信仰が篤く、数多の滝修行者や参拝の人々が詣で、今日もその御瀧の水は延命長寿の水として尊ばれています。

社殿案内(那智御瀧)|熊野那智大社

 

水とは、命そのもの。 

 

生命の、母。

 

流れゆく瀑布を眺めながら、その生命力を浴びる。

 

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参入料をお支払いし、近くで滝を眺めることができる「お滝拝所舞台」へ。

 

近くで眺めていると、まるで水がいくつもの飛竜のように舞い、地へと降りていく。

 

みずへんに、竜と書いて「滝」。

みずへんに、龍と書いて「瀧」。

 

まさに、その意味を知る。

 

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舞台から眺める滝を眺めながら。

 

なんと、生命力とセクシャリティに溢れたことか。

 

一年半前に熊野から玉置神社を訪れる契機となったのは、岡野玲子さんの漫画「陰陽師」だった。

 

その中で安倍晴明が、玉置神社について触れていたことで、訪れたくなった。

 

その「陰陽師」の中で、晴明が「那智の滝」について話す箇所がある。

 

「おぬし、那智の滝を見たことはないのか」

「あるさ」

「ふうん」

「なんだ、それは」

「ふうんだから、ふうんと言ったのさ」

「わからんな。何がふうんなのだ?なぜ北山の道者が美女に会って惑わされたのと、熊野の行者が那智の滝を見て行を止めてしまうのが同じなのだ?」

「あの滝はなあ、博雅。巨大な女子のくぼなのさ。そう見えてしまうと腰が抜けるぞ」

「へ?」

 

岡野玲子陰陽師(3)」

 

 

純朴な博雅に、「那智の滝」は「巨大な女子のくぼ」だと言ってからかう晴明。

 

その晴明の台詞を思い出すと、まさにそのようにしか見えなくなってしまった。

 

生命の坩堝たる、女子のくぼ。

 

いのちの、みなもと。

 

我々男性にとっては、畏れ多いものだ。

 

されど、こうして御瀧を眺めていると、その生命力を頂いているようにも思える。

 

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振り返れば、深き那智の山々。

 

分厚い雲は、いまにでも振り出しそうな気配だった。

 

遠くまで来たものだ。

 

けれど、今日、ここに来れてよかった。

 

そう思いながら、もう少しここにいようと思った。

 

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