大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

再出発と巡礼の熊野路3 ~和歌山県新宮市「熊野速玉大社・阿須賀神社」

神倉神社の「登山」を終え、息を整えてから車を出す。

新宮市の住宅街を、走らせる。

この日は、もう夏が近いと思わされるような、強い日差しが差し込んでいた。

駐車場に停めている間に、車内もずいぶんと蒸されていたようで、汗がまた吹き出てくる。

窓を開けると、心地よい風が車内に吹いてきた。

風は、まだ5月のものだった。

それにしても、どこかこの熊野路はおおらかで、どこか「守られている」ように感じる。

その温暖な気候からなのか、神さまがいらっしゃるからなのか。

それを感じたくて、私は熊野路を訪れるのかもしれない。

ほどなくして、次の目的地に着く。

熊野速玉大社。

先に訪れた神倉神社が、熊野権現が最初に降臨した聖地だった。

その後、この地に社殿を建て、お遷りになられたそうだ。

時に景行天皇五十八年。神代の時代。

はじめは二つの社殿だったが、平安期に現在の十二の社殿になったと聞く。

その一つ一つの前で、手を合わせて、頭を垂れる。

神倉神社のゴトビキ岩と、そこから望む熊野灘を思い出していた。

あの雄大で、神々しい巨岩を見た古代の人々は、それを「神」として信仰するようになった。

なぜ、人は手を合わせるのだろう。

なぜ、人は祈りをささげるのだろう。

信仰、祈り。

それらが芽生えるのは、どういったときだろう。

自分の力ではどうにもならないことを、悟ったとき。

想像を絶する、艱難辛苦に遭ったとき。

愛する人の無事を、健やかを、願うとき。

あるいは、奇跡としかいいようがない、巨岩を前にしたとき。

そんなときに、人は祈るのだろうか。

そこから、社を建てるようになった。

なぜ、そうするようになったのか、それも不思議だ。

境内にそびえる、樹齢千年を超える、ご神木の梛(なぎ)。

以前に訪れたときは、時間が無くあわててお参りしたことを思い出す。

この日はゆっくりと、その姿を前にして、祈りをささげることができた。

どこか、時間の感覚を忘れるような、境内の空気。

 

熊野速玉大社の駐車場を出て、車を走らせると、青看板の表記が目に留まる。

「阿須賀神社」。

看板を見ると、すぐ近くのようだった。

その案内のままに、車を走らせる。

生活道路ともよべるような道を通った先に、それと思わしき神社があったが、駐車場が分からずに通り過ぎてしまった。

戻ろうと思うが、細い路地の行き止まりに車を入れてしまい、脱するのに苦労する。

何とかもう一度、同じ道に戻り、駐車場を見つけて停めることができた。

人々の暮らしのなかに溶け込んでいるような。

それでいて厳かで、静けさとともにある、そんな空気が流れていた。

この地で積み重ねられた時と、祈りと。

それが、この空気をつくっているのだろうか。

社殿は、蓬莱山を背にしている。

「蓬莱山には、中国の秦時代に始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を求めて旅だった徐福の伝説が残っています」とは、境内の案内板の由緒から。

境内には弥生~古墳時代の住居跡があり、出土品も多く出ているとのこと。

蓬莱山、熊野川、熊野灘、あるいは那智の大滝…

熊野をめぐっていると、そこにあるものすべてに、神さまが宿っているように感じる。

八百万の神さまを、祀る。

この熊野を訪れると、「そうなんだよな」と、妙に得心する。

新緑が、ほんとうに美しい季節。

境内でその空気をゆっくりと吸い込んで、しばしその緑を眺めていた。