神倉神社の「登山」を終え、息を整えてから車を出す。
新宮市の住宅街を、走らせる。
この日は、もう夏が近いと思わされるような、強い日差しが差し込んでいた。
駐車場に停めている間に、車内もずいぶんと蒸されていたようで、汗がまた吹き出てくる。
窓を開けると、心地よい風が車内に吹いてきた。
風は、まだ5月のものだった。
それにしても、どこかこの熊野路はおおらかで、どこか「守られている」ように感じる。
その温暖な気候からなのか、神さまがいらっしゃるからなのか。
それを感じたくて、私は熊野路を訪れるのかもしれない。
ほどなくして、次の目的地に着く。
熊野速玉大社。
先に訪れた神倉神社が、熊野権現が最初に降臨した聖地だった。
その後、この地に社殿を建て、お遷りになられたそうだ。
時に景行天皇五十八年。神代の時代。
はじめは二つの社殿だったが、平安期に現在の十二の社殿になったと聞く。
その一つ一つの前で、手を合わせて、頭を垂れる。
神倉神社のゴトビキ岩と、そこから望む熊野灘を思い出していた。
あの雄大で、神々しい巨岩を見た古代の人々は、それを「神」として信仰するようになった。
なぜ、人は手を合わせるのだろう。
なぜ、人は祈りをささげるのだろう。
信仰、祈り。
それらが芽生えるのは、どういったときだろう。
自分の力ではどうにもならないことを、悟ったとき。
想像を絶する、艱難辛苦に遭ったとき。
愛する人の無事を、健やかを、願うとき。
あるいは、奇跡としかいいようがない、巨岩を前にしたとき。
そんなときに、人は祈るのだろうか。
そこから、社を建てるようになった。
なぜ、そうするようになったのか、それも不思議だ。
境内にそびえる、樹齢千年を超える、ご神木の梛(なぎ)。
以前に訪れたときは、時間が無くあわててお参りしたことを思い出す。
この日はゆっくりと、その姿を前にして、祈りをささげることができた。
どこか、時間の感覚を忘れるような、境内の空気。
熊野速玉大社の駐車場を出て、車を走らせると、青看板の表記が目に留まる。
「阿須賀神社」。
看板を見ると、すぐ近くのようだった。
その案内のままに、車を走らせる。
生活道路ともよべるような道を通った先に、それと思わしき神社があったが、駐車場が分からずに通り過ぎてしまった。
戻ろうと思うが、細い路地の行き止まりに車を入れてしまい、脱するのに苦労する。
何とかもう一度、同じ道に戻り、駐車場を見つけて停めることができた。
人々の暮らしのなかに溶け込んでいるような。
それでいて厳かで、静けさとともにある、そんな空気が流れていた。
この地で積み重ねられた時と、祈りと。
それが、この空気をつくっているのだろうか。
社殿は、蓬莱山を背にしている。
「蓬莱山には、中国の秦時代に始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を求めて旅だった徐福の伝説が残っています」とは、境内の案内板の由緒から。
境内には弥生~古墳時代の住居跡があり、出土品も多く出ているとのこと。
蓬莱山、熊野川、熊野灘、あるいは那智の大滝…
熊野をめぐっていると、そこにあるものすべてに、神さまが宿っているように感じる。
八百万の神さまを、祀る。
この熊野を訪れると、「そうなんだよな」と、妙に得心する。
新緑が、ほんとうに美しい季節。
境内でその空気をゆっくりと吸い込んで、しばしその緑を眺めていた。