花の窟神社を参拝した後、熊野灘沿いにさらに車を南に走らせる。
道中、街路樹が椰子の木だったりと、南国の雰囲気を感じさせる。
特段、渋滞もなく30分ほどで新宮市に入る。
熊野三山の一つである熊野速玉大社の摂社である、「神倉神社」。
この地名の「新宮」とは「熊野速玉大社」のことを指すそうなのだが、私も勘違いしていたのが、「新宮」の反対の「旧宮」は「熊野本宮大社」のことではない。
「旧宮」はこの「神倉神社」のことを指すそうなのだ。
リンク先の神倉神社の公式サイトにも、その記載がある。
熊野速玉大社は、まだ社殿がない原始信仰、自然信仰時代の神倉山から、初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、この神倉神社に対して「新宮社」と呼ばれています。
地名一つにも、歴史がつづら折りになっているようで、非常に興味深い。
また、ここは熊野大神が熊野三山として祀られる前に、一番最初に降臨された聖地であり、また神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あめのいわたて)の伝承地がここだとされる。
このとき、天照大神の子孫の高倉下命が神武天皇に神剣を奉げ、さらに八咫烏の道案内で軍を進めて熊野と大和を制圧したとされるそうだ。
古来から重要な信仰の地であったこの神社を、訪れてみたかった。
新宮市の市街地の中に、たたずむ入り口。
ナビが指し示した場所が住宅地で、少し迷ってしまった。
小さな桟橋を渡ると、気持ちのいい空気が流れている。
神倉神社の由緒書き。
熊野権現として有名な熊野速玉大社の摂社である。熊野三山(速玉・那智・本宮)の主神降臨の霊地、熊野信仰の根本とも申すべき霊所である。
御祭神高倉下命は、建国の功臣、熊野三党(宇井・鈴木・榎本)の祖として知られ、農業・漁業の守護神として御神徳が高い。
とある。
「宇井」「鈴木」「榎本」の姓が、建国の功臣だとは知らなかった。私の友人の鈴木さんや榎本君も、その末裔なのだろうか。
神武天皇が熊野を訪れ、天磐楯に登ったことを顕彰する碑。
日本最古の英雄譚といわれる「神武東征神話」。
宮崎の日向を出発して、奈良の橿原で即位するまでを描いた、日本建国の物語。
アメリカの神話学者であるジョーゼフ・キャンベルの言う「英雄の旅」に示される神話モデルのとおり、神武天皇の東征も「旅立」→「試練」→「帰還」という物語をたどる。
この熊野が舞台となったのは、その中の「試練」となるパート。
東大阪の孔舎衛坂(くさえさか)の激戦で敗れた神武天皇は、「日輪を背に戦う=」ために紀伊半島を海路にて南下して熊野灘から上陸。
軍を進める中で、兄たちを失う試練に遭いながらも、軍を率いて狭野(さの)を越え、熊野神邑(みわのむら)に着き、天磐盾(あまのいわたて)に登ったとされる。
この狭野とは現在の新宮市佐野、神邑は阿須賀神社あたり、天磐盾は神倉神社のある神倉山だとされる。
その後、熊野の険しい山中で迷った神武天皇を導いたのが、天照大神から遣わされた「八咫烏」だと伝えられる。
石碑を前に、悠久の時の流れを想う。
すぐそばには、天磐盾の縁起も。
紀元前三年という記載に、ロマンが止まらない。
この神倉神社の御神体は、神倉山の山上にある。
かの源頼朝公が寄進されたとされる、鎌倉積みの石段、五百数十段を登った先である。
写真で見るよりも、かなり急な石段だった。
ランニングをサボって運動不足の身体は、すぐに悲鳴を上げて息が上がる。
一段、また一段とゆっくりと登る。
私が着いたのが8時前後だったが、家族連れや一人旅の方や、いろんな方がこの石段を一緒に登られていた。
途中で視界が開けると、朝靄に包まれた新宮市が見える。
少し休憩しながら、ゆっくり、ゆっくり。
石段に生えている苔にも、歴史を感じる。
千歳の昔に、もしかしたら頼朝公も登ったのだろうかと思うと、感慨深い。
ようやく登り切った先には、御神体の「ゴトビキ岩」とそれを祀る社が現れる。
「ゴトビキ」とはこの地方の方言で「ヒキガエル」のことで、形がそれに似ていることからその名が付けられたという説がある。
山頂に近いこの場所に、この巨石。
古来より信仰を集めてきたのも、分かるように思う。
先に訪れた花の窟神社とはまた異なる、厳かな空気の満ちる場所だった。
振り返ると、朝靄の新宮市、そして熊野灘、太平洋を一望できる絶景。
高校生と思わしき女性が二人並んで、じっと熊野灘を眺めていた。
地元の高校生にしても、この五百数十段の石段を登って来るとは、信心深いものだと思う。
私も腰を下ろし、しばらく目を閉じてみる。
朝日を浴びる、新宮市とともに。
花の窟神社と同じように、熊野三山の信仰文化の原点を感じる。
人知の及ばぬ自然の絶景を目にしたとき、人は手を合わせるのだろう。
世界は、広い。
ため息とともに、そんな言葉が出るような場所だった。
少しわかりづらいが、社の横のゴトビキ岩のさらに横に、注連縄で祀られた窪みがある。
その場所が、古来から祭祀が行われてきた場所ではないかと思った。
やはり、積み重なった歴史を考えるのは、ロマンがある。
もう一度、靄の晴れてきた新宮市と熊野灘を眺めてから、山を下りることにする。
急な石段を踏み外さないように、一段ずつゆっくり降りる。
新緑の季節、さまざまな緑色が美しい。
ようやく出発点の鳥居に戻ってきた。
緊張が解けると、とたんに足腰に疲れを覚えた。
石碑の前の腰掛けに座り、私はまた目を閉じた。