時に小雪。
七十二候では、「朔風払葉、きたかぜこのはをはらう」。
「朔風」と書いて、「きたかぜ」。
冬らしい冷たい北風が強まり、木々の葉を払ってしまうころ。
ほんの半年ほど前には、薄いピンクの花弁が空を彩っていた桜並木も、その枝をあらわにして。
青々と茂った新緑の季節、蝉の声とともに盛夏を迎え、やがてその葉たちは黄色に、橙色に、静かに色づいていく。
そして、北風に散らされていく。
その葉が道々を埋めていくさまは、秋の終わりを感じさせる。
冬が、訪れる。
それは、身を切るような風の冷たさを思い起こすが、それとともに温かさを想起させるのは、なぜだろう。
鍋の煮える音。
二度寝の布団の温さ。
小さな陽だまりの心地よさ。
おなかに入れたホッカイロの温度。
人は、ある極にいると、反対の極をも感じられるものだ。
痛みも、寂しさも、悲しみも。
同じようなものかもしれない。
どうにかしようとは思わず、ただ、そのままに。
北風に葉を払われた木々の枝を、見つめるように。
ほんの小さな小さな細部を見つめるとき、人は全体とつながる。
大いなる、全体と。