大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

どこで、つながるのか。

日に日に、秋の色が濃くなっていく。

朝晩は涼しく、もう半袖では肌寒いくらいだ。

日中の陽射しにも、夏の力強さはなく、透明感を増している。

もう明日には、秋分なのだから、それも当たり前といえば当たり前なのだが。

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長月に入ったころから、小さな紫の秋を見せてくれていた草花たち。

今日は、もうその枝に緑色の実がなって、風に揺れていた。

幼い頃の記憶を呼び起こす、その形。

原っぱで遊ぶと、ズボンにびっしりとくっついていた、その緑色の鞘。

アレチヌスビトハギ。

そういえば、去年もこの草花を眺めていたことを、思い出す。

昨日のエントリーで、古い傷について書いた。

とても、傷ついていたころ。

仕事でしか、社会とつながる術がなかった。

だから、ワーカホリックになる、と。

けれど。

仕事以外で社会とつながっていれば、満たされるのかといえば、そうでもないような気もする。

どこで、つながるのか。

それは、顔の見えない不特定の「誰かと」ではなくて、路傍に咲いた「小さな紫」であってもいいのかもしれない。

つながりとは、豊かさの一つでもある。

そして、豊かさとは。

いまここにあること。

ポジもネガも含めたこころの揺らぎを、慈しむことができること。

それは、風に揺れる紫の花を、見つめるように。

息を吸い、そして吐くことで、満ち足りること。

いま、目の前の人と同じように、目には見えない人と、つながること。

そんなことなのかもしれない。