冬至を迎えた陽の光は、どこか優しかった。
記憶の中では、いつも夏の強い陽射しに包まれている農園。
師走の風に吹かれて、その赤くした葉が揺れていた。
訪れる前の週に12月としては異例の降雪があり、数日前まで雪は残っていたと聞いた。
道中を心配したが、そんな心配をよそに、気持ちよく晴れてくれた。
この琵琶湖を見渡す絶景は、快く迎えてくれたようだった。
初めてここを訪れたのは、もう17,8年前くらいになるのだろうか。
もうおぼろげなその記憶をたどり、感慨深くその名の刻まれた看板を眺める。
まだペーパードライバーで、会社の先輩の連れて来て頂いたように覚えている。
当時の私はといえば、肉親との突然の別れ、卒業、転居、社会人としての暮らし。
いろいろなことに、必死になっていたように思う。
けれど、自分が深く傷ついていることには、気付いていなかった。
こころにぽっかりと空いた穴は、どれだけ何かを頑張っても、満たされることはなかった。
いつも何かをしていないと、いけなかった。
止まったら、自分のこころの闇に呑み込まれてしまいそうだから。
どれだけ頑張っても、足りなかった。
自分には、何の価値もないから。
誰かを、助けないといけなかった。
汚れた自分が、救われるために。
ほんとうは、助けが必要なのは、自分自身だったのに。
それに気づくためには、長い時間と、多くの人の助けが必要だった。
ここを訪れるたびに、癒された。
この風景を眺めていると、何かにならなくてもよかった。
誰かにならなくてもよかった。
あの黒くて、小さくて大きい、丸々としたブルーベリーの実に。
農園に吹く風に、琵琶湖を望む絶景に。
絶品のフレンチに。
生命の香りがするような、フレッシュハーブティーに。
そして、変わらない笑顔に。
いつも、癒された。
仕事のお話をしに、ここを訪れた。
どうやったら、この美しい場所を、多くの人に知ってもらえるだろう。
そんなことを、考えてた。
紀伊國屋さんに、初めて催事のお声がけをしたという上長がいた。
たくさんの人と、仕事のつながりの中で、ここを訪れることができたのだろう。
ここに導いてくださった仕事の先人達には、感謝しかない。
振り返ってみれば、ワーカホリックも、そのおかげで得られたものも、たくさんあるのだろう。
子どもたちと、ブルーベリーを摘みに来た。
その日、玄関に止まっていたというミヤマクワガタをプレゼントして頂いて、息子はご満悦だった。
そんな息子も、いまはヒラタクワガタを越冬させるチャレンジをするまで、大きくなった。
あかいみは、まだあかちゃんだから、とっちゃだめだよ。
くろくておおきなみをとってね。
やさしい瞳をしたあの方の教えを、息子はまだ覚えているのだろうか。
大切な人たちを、ここにお連れすることができた。
たくさんの笑顔とともに、この絶景を眺めることができた。
無理をお願いして、ブーケをたくさん用意して頂いたりした。
思いもよらぬ感染症が拡がった今年も、訪れることができた。
世情騒がしい中、この風景は変わらず迎えてくれた。
汗を拭きつつ、無心で黒い実を摘んだ。
摘み終わった後は、みんな温泉に入ったようにゆるんで、その人らしい笑顔をしていた。
「商品・サービスを購入する人が、顧客」
「その人の活動を応援する人が、ファン」
よくマーケティングでは、そう言われる。
その定義からすると、私は紀伊國屋さんのファンなのだろうと思う。
その名の通り高貴な味のするブルーベリージャム「ノーブル」も、
自家製酵母で焼き上げた絶品のパンやお菓子も、
この絶景を眺めながら頂くフレンチも、
もちろん、素晴らしいことこの上ない。
けれど、それ以上に。
唯一無二なのは、そこにいる方の笑顔だ。
それが、好きなのだろうと思う。
食事のあと、農園を望むベンチに腰掛けて、風に吹かれていた。
12月とは思えないくらい、暖かい日だった。
不思議な形の雲が、流れていった。
赤く染まったブルーベリーの木が、揺れていた。
まためぐってくるであろう、その枝に黒い実がたわわに実る季節を想った。
いままで、たくさんたくさん、ありがとうございました。
いつかまた、この場所で。