大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

草木萌動のころ、熱田神社にて。

椿と山茶花の見分け方は、花の落ち方が最も分かりやすい。
花びらが一枚一枚散っていく山茶花と、花がまるごとぽとりと落ちる椿。

いつか聞いた、そんな話を思い出す。

自宅の周りには、山茶花が多いからだろうか。
椿を見かけると、嬉しくなる。

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熱田神宮の境内の椿は、いまが盛りのようだった。

夜半からの雨に濡れて、どこか寄り添うような、二つの花。

傘を叩く雨音とともに、それを眺めていた。
よくよく見れば、少ししおれてきている、その椿の花。

不完全さこそ、美しい。
その不完全さもまた、完全さの中にある。

少し早く着き過ぎたようで、こころの小径はまだ開いていなかった。

軒先をお借りして、ぼんやりと分厚い雲が覆った空を見上げる。

軒先から落ちる雫の音を聞く。
不規則なようで、どこか意志をもったような、その音楽。

雨は、世界を変える。

石垣から、水滴が滴っていた。
かたちを変えて大きくなり、ぽとんと落ちる。

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その大きくなった瞬間の半球のようなかたちの中に、世界が反転して見えた。

雨足が強くなり、水滴がいくつも並んだ。
反転した世界が、いくつも並んでいた。

雨は潤い、雨は恵み、雨は癒し。

乾いた割れ目に浸み込むように。

神宮を出ると、まるで台風かゲリラ豪雨のような春の嵐にあたられた。

メイストーム。
そんな言葉が思い浮かんだが、5月にはまだ早い。

フロントガラスを叩きつける雨に、私は春を想った。