椿と山茶花の見分け方は、花の落ち方が最も分かりやすい。
花びらが一枚一枚散っていく山茶花と、花がまるごとぽとりと落ちる椿。
いつか聞いた、そんな話を思い出す。
自宅の周りには、山茶花が多いからだろうか。
椿を見かけると、嬉しくなる。
熱田神宮の境内の椿は、いまが盛りのようだった。
夜半からの雨に濡れて、どこか寄り添うような、二つの花。
傘を叩く雨音とともに、それを眺めていた。
よくよく見れば、少ししおれてきている、その椿の花。
不完全さこそ、美しい。
その不完全さもまた、完全さの中にある。
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少し早く着き過ぎたようで、こころの小径はまだ開いていなかった。
軒先をお借りして、ぼんやりと分厚い雲が覆った空を見上げる。
軒先から落ちる雫の音を聞く。
不規則なようで、どこか意志をもったような、その音楽。
雨は、世界を変える。
石垣から、水滴が滴っていた。
かたちを変えて大きくなり、ぽとんと落ちる。
その大きくなった瞬間の半球のようなかたちの中に、世界が反転して見えた。
雨足が強くなり、水滴がいくつも並んだ。
反転した世界が、いくつも並んでいた。
雨は潤い、雨は恵み、雨は癒し。
乾いた割れ目に浸み込むように。
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神宮を出ると、まるで台風かゲリラ豪雨のような春の嵐にあたられた。
メイストーム。
そんな言葉が思い浮かんだが、5月にはまだ早い。
フロントガラスを叩きつける雨に、私は春を想った。