大嵜直人のブログ

たいせつな何かをなくした心に、ともしびを。

立冬、あるいは山茶始開。

今日から立冬の節気に入りました。
暦の上ではもう冬が始まり、木枯らしが吹いて木々の葉は落ち、初雪の報せが聞こえるころです。

七十二候では、「山茶始開(つばきはじめてひらく)」。
サザンカが、その赤い花を開かせ始めるころ。枯れたモノトーンの色が増えてきた景色に、彩りを与えるサザンカを見かけると、冬の訪れを感じます。

私の住んでいるところでは、まだ晩秋といった感じで、冬の気配は感じないのですが。
それでも、朝の気温はずいぶんと下がってきました。背筋が少し伸びるような、そのひんやりとした空気が、心地よくもあります。

ただ、歩いている道すがらに、咲いている花を見かけることが少なくなった気がします。
これまで楽しませてくれた秋の花も、終わりに近づき、冬の支度を始めたような。

そんな気配があります。

目に見えているもの、身体で感じているよりも、ずっと早く季節は流れていく。
それは、周りの季節を愛でるようになって、私が学んだ大きなことの一つです。

春の心地よい風の季節に、立夏はやってきて。
そして、梅雨が明けるずいぶんと前に、夏至は訪れ去っていく。
夏の盛りのころに、立夏はやってきて。
そして、晩秋を愛でている頃に冬は立ち。
厳寒期を迎える前に、冬至は過ぎて、少しずつ昼は長くなっていく。

気づいたときには、季節は過ぎ去っていきます。
それは決して立ち止まることなく、時に残酷なほどに粛々と、時に安らぐように淡々と、流れていくようです。

「暦の上では」という枕詞を聞くと、不思議な心持ちがしたものでした。
けれど、最近は「そんなもんだよね」という気がします。

たいせつなものは、いつも気づかないうちに流れていくように。

それはどこか寂しい気もしますが、そのままでいいのでしょう。
ただ、流れゆく景色の細部を、見つめ続けるだけで、いいのでしょう。

その移ろいを愛で、その変化とともにあること。
それを、時に癒しと呼んだりするのでしょう。

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秋の忘れもののように、ぽつんと咲いて。