大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

文月の熱田さんは、炎暑のなかに。

文月ついたち、熱田神宮を訪れることができました。

図らずも、「朔日詣で」になりました。

車から降りた瞬間、足元から熱気が。

観測史上最速の梅雨明けの今年、6月の末から、夏本番のような暑さ。

スマートフォンの天気アプリを開くと、今日の名古屋市は38度の予報。

朝8時台で、すでに33度を超えています。

6月の終わりから、日中は体温以上の気温が当たり前になっていることに、驚きを禁じえません。

幼いころ、夏は近所の公園でひとり、無心でタモを振り回していたのですが、いまそんなことをしたら、熱中症で行き倒れしそうな気がします。

なんだか、風情がないような気もします。

大好きな暑い夏が、なんだか命の危険を覚えるような、そんな季節になってしまった。

それも、なんだか寂しく。

それでも、起こっていることは、すべて正しいのでしょう。

ただ、こうして移ろいゆく季節を、見つめる。

そこに見えることだけが、真実のような気がします。

空は、抜けるように青く。

どこか、7月下旬の夏休みに入ったばかりの空の色のような。

それでも、肌にまとわりつくような湿気が、梅雨の名残を感じさせます。

ぼやけたような、春の空。

清涼な、新緑の空。

燃えるような、夏の空。

秋茜の飛ぶ、透き通った秋の空。

緊張感のある、冬の空。

四季それぞれに、空の色があり。

いま見上げている空は、この瞬間にしかなく。

目に、青さをたっぷりと吸い込んでおきたい。

そんなことを、思いながら。

境内の木々から、クマゼミの鳴き声が。

この暑さで、もう蝉も土の中から出てきたのでしょうか。

蝉が鳴きはじめると、いよいよの夏。

それを、強く感じさせます。

それは、いつも私に終わりを感じさせるものでもあります。

夏が来る、夏が過ぎていく。

春が過ぎるよりも、秋が深まるよりも、冬が明けるよりも。

どの季節よりも、夏の終わりは、私のこころをとらえて離さないようです。

手水舎の前の大楠も、夏らしく力強く。

その両手を、広げていました。

ついたちだからでしょうか、いつもよりもたくさんの方が、参拝に訪れていました。

ハンカチを手に、汗を拭きながら。

みな、炎暑の下、本宮に向かって歩き。

頭を下げ、手を合わせる。

どの季節も変わらない風景が、どこか嬉しく。

ここで、どれだけの祈りが、重ねられてきたのか。

そんなことを、思いながら。

通ってきた参道を、引き返していきました。

帰りしな、神鶏さまがおふたりで、お見送りに。

そういえば、神鶏さまはいつも単独行動で、こうして近くにいらっしゃるのは珍しい気がします。

あとお一方、真っ白な方がいらっしゃった気がしますが、どこかへ行っているのでしょうか。

今日も、お世話になりました。

今月も、よろしくお願いいたします。

おふたりにご挨拶して、文月がはじまったようです。