今日は二十四節気の一つ、「霜降」。
文字通り、北国から順に霜が降り始める時期。
動物たちの冬支度も、この節気のころから少しずつ始まる。
人の思考や感情は、周りの気候というものに影響されるといわれる。
「芸術の秋」とも言われるように、感情が大きく動くのもこの時候のようである。
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秋が深まると、運動会の声を聞くようになる。
いまは春先に実施する園や学校も多いようだが、
私が幼い頃の思い出は、いつも透き通った青空をバックに飛び回っていた秋茜だった。
運動神経のあまりよくなかった私のこと、運動会という日はおとなしくしている一日だった。
運動が得意だったり、
足が速かったり、
組体操やダンスが上手かったり、
騎馬戦が得意だったり・・・
クラスのそんなヒーローたちを、羨望の眼差しで眺めるのが運動会の思い出だった。
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あれから30年近く経って、幸運にも子どもの運動会を観戦することができた。
きっと30年前と同じように、木々は錦に色づいていた。
一年前にくらべて、ずいぶんとたくましく、できることの増えた子どもたちを見ることができた。
人の成長を見るには、他人との横軸よりも、時間との縦軸で見た方がいい。
100点か99点かを競って評価するより、20点が30点になったことを見つける方が、はるかに楽しく、幸せなことのように見えるからである。
それは、自分に対しても同じだ。
もしかしたらいまが辛かったり、しんどかったり、辛かったりするかもしれない。
けれども、それは決して退化しているわけではなく、単に屈伸しただけだったのかもしれない。
風邪や病気でしばらく寝込んでいたとしても、久しぶりに会う祖父母は、
「しばらく会わないうちに、大きくなったなぁ」
と喜んでくれるように。
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そんな秋の日、いつも持ち歩いている手帳が机から落ちた。
ばさばさと床に散らばったメモなどに混じって、いつも手帳に入れていた幼い頃の写真が目に留まった。
私の手元に残っている、小さいころの数少ない写真の一つ。
30年近くも前のこと、子どもの頃の記憶の薄い私は、一緒に笑う友だちの名前も思い出せない。
誰が撮った写真なのかなど、覚えているはずもない。
いまのように手軽にデータで残せるはずもない当時のこと、誰かがフィルムを現像して、保管して、いま現在私の手に残っていると思うと感慨深い。
その日も例年と変わらず脇役ではあったと思うが、私は笑っていたようだ。
きっと、あの日の父と母と同じように。