春分過ぎて。
今年は桜が早いようで、もう春本番の感がある。
桜もそうなのだが、空の色の移り変わりが、季節の入れ替わりを感じさせる。
凛として、どこまでも澄んでいた空の色。
冬の間の、そんな空の色は、もうどこにもなく。
見上げれば、輪郭のぼやけたような色が、広がっている。
空自体の色もそうだが、雲の輪郭もまた、ぼんやりとあいまいなままだ。
冬の空が、極細のボールペンで書いたような陰影だとするなら、
春のそれは、淡い色を重ねた水彩画だ。
輪郭はにじみ、境界線はどこかあいまいだ。
それは、春の情景とどこか似ている。
出会いと別れ。
死と再生。
懐古と勇気。
葛藤と愚直。
春は、いつもその境界線の上を、ぼんやりと歩く。
どこかへ行くようで、どこにも行かない。
そんな、季節。
冬の凛とした空は、少し痛みと似ている。
春の空は、日々、その痛みを和らげていくようにも見える。
もしそうだとしたら、癒しとは、輪郭をあいまいにすることと言える。
輪郭を、あいまいにする。
正誤善悪、過去と未来、男と女、過程と結果、上と下、天と地、日と月。
うつろいゆくもの、めぐるもの。
その二つの間で、揺れている。
あいまいなままでいる。
そのままでいる。
春色の空。
見上げながら、癒しについてそんなことを想う。