一日中降り続いた雨の日の翌日は、気持ちよく晴れた。
その空の青さに惹かれ、いつもの川沿いを歩く。
目に青いくらいの草たちが、揺れていた。
今日は久しぶりに30度を超え真夏日になるそうで、日差しは強い。
されど風は心地よく。肌に触れる風の感触は、私にとって最も季節の移ろいを感じやすい指標の一つかもしれない。
路傍のランタナ。
外来種らしいが、この幾何学的な模様が見ていて飽きない。
どうして、この形を選んだのだろう。不思議なのだが、それが最適最善だったということなのだろう。
風に揺れる白い小さな花、ハルジオンだろうか。
ここのところの雨と、強い日差しで、びっくりするほど背が高くなって群れていた。
少し遠回りをして、公園に寄る。
息子が「ふじさん」と呼ぶ、遊具。
誰もいない公園…
童心を思い出して、登ってみた。
なんとかと煙は高いところが好き、と言うが、そういうことなのだろう。
「ふじさん」の上から見る景色は、ずいぶんと違っていた。
公園のわき道を、母親と息子らしき二人が歩く。
買い物バッグを抱えて、これからスーパーに行くのだろうか。
昔を、思い出す。
私が小学校のころ、まだ土曜日の半日授業があったため、完全な休みは日曜日だけだった。土曜日は、近くの祖父母の家でお昼を食べさせてもらったり、託児所のような習字教室で面倒を見てもらったりしていた。
まだ多くの会社もそうだったのだろう、父と母もまた、日曜日が数少ない休日だった。
そういう時代だったとはいえ、週に一日の休みなど、家事や諸々のことをして、あっという間に終わってしまっただろう。
そんな数少ない休日、母親と触れ合える時間を求めたのだろうか、よく買い物についていった。小さな町にしては、割と大きなスーパー。日曜の午前中の、ルーティンだったように思う。
買い物についていく目的は他にもあって、それは好きなお菓子を買ってもらえることだった。いまでも販売されている、「コーラアップ」というグミが、私のお気に入りだった。昔からジャンクなものに惹かれる性質は、変わらないらしい。
「コーラアップ」のグミを、買い物カゴにそっと二つ入れるのが、小さな私のミッションだった。「明日以降に分けて食べなよ」と言われるのだが、結局その日のうちに食べてしまうのが、常だった。
あの男の子も、好きなお菓子を買ってもらうのだろうか。
そんなことを考えてうちに、二人は角を曲がって見えなくなった。
風が、気持ちよく。少しごろんと、「ふじさん」の頂上で横になった。
夏空が、広がっていた。
明日は、夏至らしい。明日には昼の長さのピークを過ぎるということは、ある意味で今日が陽の強さの盛りなのだろうか。
夏至前の空は、どこまでも青く、そして丸かった。
公園には、まだ誰もやって来る気配はない。
もう少し、このまま横になっていようと思った。