大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

断酒日記【922日目】 ~どんな選択をするかよりも、選んだことを肯定する。

さて、断酒922日目である。
おおよそ2年と半年。
そう聞くと、ずいぶんと長いこと続けてきたものだな、と感慨深くなる。

最近はもう断酒をしている感覚も薄れ、お酒というものは意識の遠いところに押しやられているようだ。
2年半前の心情や感覚など、なかなか覚えていないものだ。

2年半前のあの日。
霧のような小雨が降る近所の川の橋の上で、ふと浮かんだ断酒に従っていなかったら。
そんなことを、考えてしまう。

いまもまだ、飲酒していたのだろうか。
たまに、美味しい肴とのお酒を楽しんでいたのだろうか。
感染症禍で、自宅飲みの頻度が増えていたのだろうか。
まだ、二日酔いの辛さを味わっていたのだろうか。

まあ、考えても仕方ないことではあるけれど。

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一つ言えるのは、そのときがちゃんと何かレールが切り替わった感覚がある、ということだ。
それは、いい方向/悪い方向という切替ではない。

断酒自体がいいことでも、悪いことでもないように。
健康にいいかと言えば、甘いものが増えたので必ずしもそうとも言えず。
美味しい料理に合うお酒を愉しむ時間が無くなったことは、残念だとも言える。
いい、悪い、というわけではなく。

ただ、行き先が変わった。そんな感覚がある。

それでも、あのとき断酒をしてよかったな、とは思う。
「よかった」というだけで、それ以上でも、それ以下でもないけれど。

ただ、それと同じくらいに。
おそらく、あのとき断酒をしなくても、「お酒をやめなくてよかった」と思っていただろうな、とも思う。

人は何かの岐路に立ったり、何かの判断を迫られると、「どちらにするか」という選択に頭を悩ませる。
理屈で考えるにせよ、直感で選ぶにせよ、コインを投げるにせよ、誰かに相談するにせよ、「どっちがいいか?」という基準で頭を悩ませる。

けれど、ほんとうのとこは。
どの選択肢を選ぶよりも、その選択をしたことに納得し、その選択を肯定することの方が、重要なような気がする。

VUCAの時代、不確実な時代と言われるように。
どれだけ考えたって、未来のことなんて分からないのだから。

だとするなら、私たちにできることといったら、過去の選択を肯定することしか、できないではないか。
「あぁ、あのとき、あの選択をしていて、ほんとうによかった」と。
その情感は、現在の自分自身を肯定することでしか生まれない。

いまの自分でよかった。
いまの自分がいい。

それは、選択肢に正解するとか、過去の自分よりも素晴らしくなったとか、そういったことではない。

いまの不十分で不完全で未完成で不出来な、この自分を肯定するのだ。

そうだとしても、わたしはわたしがいい。

そう思えた瞬間に、過去のすべての選択も出来事も、輝きを放ち始める。
幸せとは、そんな瞬間を指すのかもしれない。

そして、その輝きは、遠く離れた未来をも照らしだす。

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川の流れを見ていると、時に分かれ、ときに合わさり。
上流では、急な流れもありながら、徐々に緩やかに流れていったり。
ときに濁流になりながら、ときに枯れそうになりながら。

それでも、必ず海へ流れついてゆく。

どんな道を通っても、最後には大河となり、大いなる海へと帰っていく。

どんな選択をしたとしても、行き着く先は同じ。
そう考えると、どんな選択をするかは、あまり大したことではないのかもしれない。

ただ、流れのままに。

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