大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

新緑・薫風の熱田さんを歩く。

これぞ新緑、薫風。
車から降りた途端に、そんな言葉が口をついて出てきそうになった。

5月下旬の、熱田神宮である。

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その空の青さ、木々の息吹、そして薫る風。
どれもが、完璧だった。

これぞ、新緑、そして薫風。

例年にない早さで梅雨入りして、この心地よい5月の空気を味わうことが、少なかったような気がしていたので、嬉しかった。 

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麗らかで輪郭のぼやけた春の陽射しとも、
灼けつくような夏の陽射しとも、
澄んでいながら憂いを帯びた秋の陽射しとも、
か細くも確かな冬の陽射しとも、
どれとも違う、この時期だけの陽射し。

それを、この熱田神宮で味わうことができたことを、嬉しく思う。

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風にそよぐ木々の音、参拝客の玉砂利の音、竹箒で落ち葉を掃く音。
その音の中で、5月の青い空を見上げていると、それだけで満たされるものがある。
静かな中に、すべてがある。

それにしても、暖かくなって気持ちのいい気候になったが、真冬とそんなに参拝客の数が変わらないような気がする。 
参道を歩く方は、どの方も自然で、日常に溶け込んでいるように感じる。

いろんな理由で、この熱田さんを訪れるの方がいるだろう。
けれど、習慣の中に「神社」があるのは、いいなぁと感じるのだ。

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参道の木漏れ日は優しく、そして力強く。
深呼吸をしたくなるような、その陽だまり。

何度も立ち止まり、その木々の青さと、新緑の隙間から覗く陽の光を、眺めていた。

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こころの小径の入り口のあたりから、本殿を望む。
どこまでも気持ちのいい、陽射しだった。

一年の中で、いまこの時期しか味わえない感覚。

願わくば、もう少しこの気持ちのいい気候が続いてくれるように。
そんなことを願うのは、やはり私のエゴだろうかとも思いながら。

でも、そんなエゴを持ってしまうくらい、気持ちいい気候と熱田さんの境内だった、ということにしておこうと思う。

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新緑、薫風。

もうすでに、その名残の気配を感じながら、参道を歩いて戻る。