大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

6月の夕暮れは黄金に染まり。

時に芒種、あるいは蟷螂生(かまきりしょうず)。
昨年の秋に産み付けられたカマキリの卵から、たくさんの命が生まれるころ。
全国的に梅雨入りし、ぐずついた空が続くころでもある。

今年は異常に早く西日本が梅雨入りしたが、梅雨入りしたとたんに晴天が続いて、まだ東日本は梅雨入りもしていない。
そうこうしているうちに、平年では梅雨入りする日を過ぎてしまったという。
不思議なこともあるものだ。

空梅雨が続くことで、今年の6月は夕暮れをよく見ることができるようだ。
平年は梅雨空が続くせいで、なかなか見られないが、本来は夏至前のこの時期が最も太陽が落ちるのが遅く、夕暮れが楽しめる時期でもある。
19時を過ぎてもまだ明るく、そこから徐々に暮れゆく空は、殊更に美しい。

水面に滲んだような、春のそれとも違う。
暖色のオリジナルカラーのような、秋のそれとも違う。

この水無月の夕暮れの色は、黄金だ。

金色に輝くその色は、どこかこの湿気の多いこの時期の空とは、不釣り合いのようにも見える。
その黄金色だけが持つ印象は、真冬の早朝の朝焼けの色に近いのが不思議だ。

黄金色に染まる世界。
それを、日中から楽しみにしてしまうのだ。

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それにしても、色はどこかに眠っていた記憶を、呼び覚ますことがある。

かつて小売りで働いていたころ。

職場が地下だったため外が見える窓がなく、また外出の少ない仕事だったので、なかなか夕暮れを見る機会がなかったのを覚えている。
ワーカホリックに、朝から夜遅くまで働いていたので、夕暮れが見える時間に帰社することもなく。
目にする空は、朝日か、もしくはどっぷりと暮れた夜空か、そのどちらかだった。

時おり、数少ない外出の機会が入ることがあった。
顧客からのクレームにより、お詫びに伺ったり、何かを届けたり、そんな仕事だ。
軽微なものもあれば、気乗りのしない重いものもあった。

それでも、外に出られることは、どこかほっとした。
その方が早かったこともあるが、進んで顧客に「お詫びに伺わせてください」とかなんとか言っていたような気がする。

普段の空間から出ると、世界はまた違って見えた。

学校から帰る途中の小学生たちだったり。
買い物袋を手にした年配の男性だったり。
リクルートスーツの若い女性だったり。
いつも帰宅する時にはとっくに閉店しているお店が営業していたり。

いろんな人が見られて、仕事だけでなく世界とつながっていることを再確認させてくれたようにも思う。

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あるとき、クレームを申し出た顧客のところに伺うことになり、電話口でその住所を窺うと、聞き覚えのある住所だった。

私の、生まれ故郷の近くだった。

社用車がなかったので、クレームには公共交通機関を使って行く決まりだった。
何度も乗った、赤い電車に揺られて、故郷の駅に行った。

どんなクレームかは、もう覚えてすらもいないが、記憶に残っていないということは、軽微なものだったのだろう。
そのクレームが終わり、社に戻るために、また故郷の駅から赤い電車に乗った。

故郷の駅を出て、一つ目の駅を過ぎると、電車は大きくカーブする。
ぼんやりとながめていた窓から、カーブしたことで赤い車体が見えていた。

夕暮れ時だった。

赤い車体は、その夕暮れの黄金色にも似た陽光に照らされ、鈍く光っていた。

黄金色に染まる景色が、ゆっくりと、流れていった。
ターミナル駅に着くまでの30分ほど、このまま何もしないでいようと思った。

それは、当時の私にとっては、貴重な時間だったのかもしれない。

その黄金の光と、鈍く光る赤い車体を眺めながら、座席にもたれかかっていた。

あれがいつの季節かは、もう正確には覚えていないけれど。

それでも、最近よく見る夕暮れの色が、その情景を思い出させてくれるのだとしたら。
やはり、6月の梅雨空の合間の、夕暮れだったのだろうか。

黄金色に染まる空を眺めながら。
そんなことを、考えてしまうだ。

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