大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

足止めの日。

梅雨時の空模様を心配していたが、気持ちよく晴れていた。

月一の仕事、いつもの仕事、少しの遠出。
いつものように、道草をしようと早めに出る。

ナビのない車。
念のため、と表示させていたスマホの地図アプリが、いつもと違う高速の出口を指示する。

二つ前のその出口、降りた先は下道の幹線道路。
表示された到着予想時刻も、肌感覚よりもずいぶんと遅い。
さすがにそれはなかろうと、その出口をそのまま通り過ぎ、いつもの終点まで車を走らせる。

しかし、思わぬ地点で、車の列。
点灯する、最後尾のトラックのハザード。
まだ出口まではずいぶんとあるのだが、ぴたりと動かなくなった。

あぁ、そういうことか。
スマホの画面に表示された道路が真っ赤に塗られているのを見て、「この先渋滞しているから降りろ」と言われていたと気づく。
あとの、祭りだ。

それにしても、月末でもないのに、なぜ今日はこんなにも渋滞しているのだろう。
名神高速のリフレッシュ工事をやっていると聞くがその影響か、それとも。
考えても分からないので、考えるのをやめた。

トロトロと動いては止まり、またソロソロと動き。
これは、時間がかかりそうだ。
さて、どうしたものか。

あまり操作をしない、オーディオのスイッチを入れる。
どこかの局のラジオのパーソナリティの声が、聞こえてくる。
その話の中で、どうやら今日は縁起のいい日だそうだ。
そんな日に渋滞とは、ツイていない。

いや、それもまた一つの見方に過ぎないのだろう。
今日、行けなかったことに、意味があるのだ。きっと。

ふと、Enyaの音楽が聴きたくなった。
そういえば、スマホに入っていたけれど、そのスマホはいまナビ代わりになっている。
渋滞中でナビもないかと思ったが、それでもそのままにしておいた。

想像の中で、その曲を流す。

過ぎゆく一日に、身を任せましょう。
過ぎゆく雨に、身を任せましょう。

そんな歌詞の、美しい音楽を思い出す。

出口まで600mの緑看板が見えてきた。
サラブレッドなら、30数秒で走り抜けてしまうその距離に、あとどれくらいかかるのだろう。

そんなことを考える私を乗せて、車はトロトロと進んでいく。

過ぎゆく一日に、身を任せよう。
過ぎゆく雨に、身を任せよう。

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