大嵜直人のブログ

たいせつな何かをなくした心に、ともしびを。

そらのおと、かぜのいろ。

いくつになっても、覚えているだろうな、という感覚がある。

 

校舎で筋トレになった雨の日の部活の、まとわりつくような湿気だったり、

その手に、はじめて触れた温もりであったり、

木枯らしの吹く、何気ない冬の日の空の音であったり、

あるいはその地に降り立ったとき、ふっと吹いた風の色だったりする。

 

あのときの湿気だ。

あのときの温もりだ。

あのときの音だ。あのときの、色だ。

 

それらに触れたとき、どこかそのときの、過去の自分とつながるようだ。

 

そのとき、過去の自分を受け入れ、ゆるせているような気がする。

 

どんな自分でも、ただ、そこにいた。

どんなに傷ついていても、変わらずに、いた。

どんな私でも、そこにいた。

 

ただ、そこにいるという事実を認めることが、もっとも単純で、この上ないゆるしなのかもしれない。

 

あのとき、あなたはそこにいた。

 

街頭の人混みのなか、信号機が点滅しだす。

横断歩道を渡る皆の足音が、急ぎ出す。

ふっと振り返ると、身じろぎもせず、あなたはそこに立っている。

たくさんの人が周りを流れていくのに、まるでそこだけが切り取られたように。

あるいは、結界が張られているように、動かない。

 

ただ、あなたはそこに立っている。

まっすぐに、その瞳は歩道の先を見据えている。

 

信号機の音楽が、止まる。

雑踏の音が止まり、我に返って足早に歩道を渡り切る。

 

ほっと一息を着くと同時に、車が流れる音がする。

もう一度振り返ると、あなたの姿はそこにはなかった。

 

ただ、そこにいた。

それでも、そこにいた。

 

その感覚に触れたとき、ただ過去の自分を思い出す。

そして、そこにいたことを、思い出すことができる。

そこにいた事実を、認めることができる。

 

そんな空の音、風の色が、ある。

 

あのとき、そこにいた。

あのとき、そこにいた。

 

わたしも、あなたも、そこにいた。

 

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