大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

師走の空は、なぜこんなにも澄んでいるのだろう。

急に冬が本気を出してきたようで、昨日の夜から大きく気温が下がりました。

見る予報によっては、今朝の気温が氷点下になっていましたが、さもありなんと思わされる寒風が吹く朝でした。

時候は「大雪」も末候、七十二候では「鱖魚群(さけのうおむらがる)」。

もう来週には「冬至」。文字通り、冬に至る日がやってきます。

ようやく本格的に冬がやってきたと感じるうちに、もう陽の長さは徐々に長くなっていく。不思議なものです。

気づいたときには、もう盛りは過ぎている。

何ごとにも同じことが言えそうな、そんな自然の、季節のめぐり。

さて、そんな風に考えると、いまが冬の盛りのようにも思えます。

だからでしょうか、師走の空はどこまでも澄んでいるように感じます。

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少し寄った公園で、見上げた師走の空。

1年の終わり、年の瀬も近づき、何かと気ぜわしくなる12月。

なかなか、こうして空を見上げるだけの時間というのは、持ちがたい時期なのかもしれません。

けれど、見上げた空は、どこまでも澄んで。

どこかそれは、ある一つの「極(きわ)」にいるから、そう感じられるのかもしれません。

嬉しさの、極。悲しみの、極。愛しさの、極。痛みの、極。あるいは。

そうした極にいると、なぜか人は澄みわたるように感じることがあります。

極とは、濁りの無さ。偽りの、無さ。

そこにあるのは、ただ澄みわたった今日の青空のようなものなのかもしれません。

移ろいゆくものも、また美しいのですが。

極、というものにもまた、人は美しさを感じるようです。

冬の極まで、あと少し。

いまこの時間を、味わっていきたいものです。