大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

カウンセリング・モニター100名様への感謝に寄せて。 ~これまでと、これからと。

昨年の8月、初めてここでカウンセリングのモニター様を募集いたしました。

記事をアップするとき、手が震えたのをよく覚えております。

はじめて、カウンセリングをご提供したとき。

吐きそうなほどに緊張しました。

初体験より、緊張したかもしれません。

それは、どこかから聞こえてくる、

「お前なんかが?」
「どうせ無理だよ」
「やめとけばいいのに」

といった、ひねくれて引きこもろうとする私の声との葛藤でもありました。


 

そんな船出から、1年が経ちました。

気づけば、お越し頂いたモニター様は、のべ100名さまを超えました。

今日まで、カウンセリングをご提供することを続けられたのは、お申込みいただく皆さまに恵まれたこと、その一点に尽きます。

何の実績もない私に、大切な胸のうちをお話しくださいました。

何年か前にブログを読んでくださったご縁で、お申し込みをいただきました。

お弟子仲間や先輩のご紹介で、お越しくださいました。

遠く海の向こうから時差のあるなか、お時間をいただきました。

ありがたいことに、リピートでお申し込みをいただきました。

お越し頂いた皆さまには、あらためまして、心より感謝申しあげます。

無料モニターという形を続けてきましたが、「時間」をいただくことは、ある意味で「お金」をいただく以上に、シビアだと思います。

よく言われることですが、インターネットとスマートフォンが世に現れてから、「時間」の価値が圧倒的に上がりました。

何をするにしても時短でできるようになりましたし、時間を潰す手段には困らなくなりました。

そんな中で、お時間をいただくことは、当たり前ではないと思うのです。

それでなくとも、有限の命を生きる私たちにとって、「時間」とは命そのものです。

あらためまして、そんな貴重なお時間をいただきましたことに、感謝申しあげます。

本当に、ありがとうございました。


 

去年の8月、はじめてカウンセリングの募集をするにあたって、決めていたことがありました。

「お申し込みの有る/無しにかかわらず、店を開け続けよう」

具体的には、枠の多い少ないは別としても、毎月募集を続けよう、と。

「一度、のぞいてみようかな」

「まだ、申し込んでみようかな」

もしそう思っていただけたときに、お応えできるサービス提供者でありたいと思いました。

おかげさまで、なんとかこれで1年、続けることができました。

しかしそれは、カウンセリングをご提供できる時間を確保することと、自分の心と身体のメンテナンスをし続けることが必要でした。

それも、やってみないと分からないものです。

私の場合は、カウンセリングそのものの疲れよりも、終わった後の後悔だとか、反省、ひどいときには自己嫌悪と、どう付き合っていくかが、課題でした。

「せっかく時間をいただいたのに、何もできなかった」

「あの言葉は、こういう気持ちを伝えたかったんじゃ、なかったのかな」

「あのとき、こう言えればよかったのに」

そういった思いが、終わった後に頭を離れないのです。お恥ずかしい話ですが。

けれども、終演した舞台の幕が上がらないように、時間を巻き戻すことはできません。

カウンセリングは、その瞬間、瞬間にこそ意味が宿るのかもしれません。

ただただ、その後悔を胸に、次の瞬間に向かうほかありません。

それは、カウンセリングに限らず、生きることと似ているようにも感じます。

そして、次の瞬間に向かう希望を与えてくださったのは、あなたさまが送ってくださった、ご感想でした。

超絶受けとり下手の私ゆえ、直視できないことが多々ありました。

けれども、がんばって、何度も読み返しました笑

いただいた言葉の一つ一つが、この一年間の私の支えでした。

ご感想をお送りいただき、本当にありがとうございました。


 

100名の方の、お話をうかがってきて。

少しずつではありますが、自分のカウンセリングのスタイルが、見えてきました。

見えてきた、というと見栄えがいいのですが、そんな格好のいいものでもありません。

「それしか、できない」という方が、近いように思います。

傾聴と受容。

そして、クライアントさまの選択を尊重すること。

大丈夫、とお伝えすること。

いろんな提案をするよりも、「どんな選択をしても、大丈夫ですよ」とお伝えすること。

それしか、できないようです。

 

「行」という漢字は、その形のとおり、十字路を表しているそうです。

誰しもが、人生の岐路に立ち、迷うときがあります。

しんどいとき、辛いとき、心が痛いとき。

そんなときほど、どこへ向かったらいいのか、分からなくなります。

これから、どこへ行ったらいいのだろう、と。

けれど、それは見方を変えれば、どこへでも行ける、と見ることもできます。

人は、どこへでも行けるんです。

同時に、人は、どこへも行かなくてもいいんです。

360度、どこにでも行ける、という位置に立つこと。

それを、「行く」といいます。

心が迷うとき、戸惑うとき、苦しいとき。

それは、まだどこにも行っていないのかもしれません。

けれども、どこへ行くかを、あなた自身の意思で決めることができる。

その力を、持っておられる。

そんなことを、思い出していただければと、いつも思っています。

 

「行」という漢字に、ゆらぎが加わると、「術」という字になります。

迷ったとき、弱ったとき、困ったとき、どうしたらいいか、わからないとき。

ふとそよぐ風を感じたとき、その行き先が、見えることがあります。

時に、その風を「芸術」と呼んだりもするのでしょう。

言葉で、文章で、あるいはカウンセリングで。

そんな風を吹かせられるように、精進していきたいと思っています。


 

振り返ってみると。

心がつらいとき、しんどいとき、苦しいとき。

私は、言葉に、すがってきました。

言葉を、頼ってきました。

いつしか、言葉を、自分が書くようになりました。

「ブログを書いたらどうですか」

そんなお声がけから、このブログをはじめました。

それが気づけば、こうしてカウンセリングとして、あなたさまのお役に立てているのであれば。

それは、この上ない僥倖のように感じるのです。

そしてそれは、書き始めたころの私が、想像だにしていなかったことでもあります。。

そこに導いてくださったのは、これを読んでくださっている、あなたさまです。

あらためまして、カウンセリング・モニターにお越し頂きましたあなたさま、そしてこれをお読みのあなたさまに、これまでのご厚情に感謝申しあげます。

本当に、ありがとうございました。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。