「投影」とは、自分の心の内を、外の世界に映し出すという心理です。
簡単に見えるその心理は、実にさまざまなことを私たちに教えてくれます。
そうした「投影」を使ったものの見方について、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.「利用されている」と思うとき、あなたは自分を前進させないために相手を利用している
自分は相手にとって自然で対等なパートナーではないと感じると、私たちは自分を捨てて相手に利用させようとします。
その結果、利用されて傷ついたとか犠牲になったと感じるのです。
本当のところ、私たちのほうが相手を利用しているのです。
潜在意識ではたらいている原動力をよく見てみると、前に進んで深い親密さにさらされたり、自分自身に向きあうのがこわいので、そうした状況を利用して直面を避けているのがわかります。
前に進もうとする意志があれば、状況はまるごと変容します。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.452
2.利用しているのは、実は自分
今日のテーマは、何でしょうね。
カギになるのは「投影」だと思いますが、それを通じて、心理学における一つのものの見方としてご紹介したいと思います。
「投影」の心理
まず、「投影」の心理について、少しおさらいしてみます。
ここでも何度となく扱ってきた、心理学において最も重要な概念の一つです。
私たちは、自分の心の内にあるものを、外の世界に映し出します。
オレンジ色の夕暮れを見て、「寂しいな」を感じるのは、私たちの内にある寂しさを映し出しているといえます。
そのように、自分の感情を周りの人や風景、物に「投影」するという形もあれば、過去に出会った人を、いまの人や物に「投影」する、という形もあります。
「なんだか彼に対して、お母さんに感じていた怒りを感じる」
「後輩が、以前の自分にそっくりで、同じ失敗をしないか心配になる」
…など、実にさまざまな形で、私たちは心の内を外の世界に映し出します。
少し変わったところでは、価値観や観念、あるいは考え方といったものを、他の人に「投影」する、という形もあります。
「遅刻したらまず謝るべきなのに、平然としているのはおかしい」
「いくら家族とはいえ、無条件に信頼してはいけない」
…などなど、私たちは実にさまざまな観念を持っているものですから、それを外の世界に「投影」します。
このように、外の世界に見えるものは、私たちの内なる心が映し出されたもの、と見るのが「投影」の心理です。
これを突き詰めていくと、「世界は私がつくり出したもの」と見ることすらできるのでしょう。
映画「マトリックス」の世界も、それに近いのかもしれません。
「投影」を取り戻す
さて、こうした「投影」の心理ですが、それを逆から見ると、非常に私たち自身の心を知ることに役に立ちます。
すなわち、外に見る世界が、自分の心の内であるならば。
外に見える世界が、自分自身の心の内を教えてくれる、ということです。
朝から電車の列に割り込まれたり、何度も靴ひもがほどけたり、急いでいるのに自販機に100円玉が入らなかったり、そんなことが続いてイライラしたとします。
「なんで、こんなイライラすることばっかり、起こるんだろう」
「今日はツイてないな」
そう考えるのが、普通かもしれません。
けれども、「投影」の見方を使ってみると、少し違った風景が見えます。
外の世界にイライラすることばかりが起こるならば。
自分の心のなかには、「イライラ」「怒り」がそもそもあったのかもしれません。
それを、何らかの理由で「怒ったらあかん」「イライラしたらあかん」と抑圧して、見ないようにしていた。
しかし、私たちはそれを外の世界に「投影」しますから、必然的にイライラさせられるできごとが起こるわけです。
これを、「イライラさせるできごとにフォーカスする」と見てもいいですし、「イライラさせるできごとを引き寄せる」と表現することもできるのでしょう。
そうしたできごとによって、「あ、そういえば最近、めっちゃイライラしてたなぁ」と気づき、感じることができると、その感情は解放されていきます。
このようにして、外の世界に映し出されたできごとから、自分の奥底にあった感情とつながることを、「投影を取り戻す」と呼んだりもします。
「イライラするようなできごとがある」→「イライラする」というのが、普通の見方です。
一方、「そもそも心のなかにイライラがあった」→「イライラさせるできごとを見る」というのが、「投影」を使った見方ですね。
どちらが正しい、というわけでもありません。
こういう見方もある、と捉えていただければと思います。
ただ、自分自身の内面を知る、内省するときに、この「投影」を使った見方というのは、ほんとうに役に立ちます。
3.すべて自分がつくり出しているならば
自分責めにならないように
少し触れるといいながら、がっつりと「投影」について書いてしまいました笑
しかし、「投影」の考え方を突き詰めていくと、すべてのできごとは自分がつくり出した、自分が望んだもの、という見方ができます。
ただ、これをどのレベルで見るか、というのがとても重要で、いまの自分にフィードバックできるレベルまででいいと思います。
言い換えると、「自分責め」にならない程度にしましょうね、ということです。
そのレベルというのは、人それぞれ違うものです。
「こんなできごとが起こるなんて、自分が悪いんだ」と、自分を責めてしまっては、何の意味もありません。
「自分が望んでいるとしたら、このできごとはどんな意味があるのだろう」
自分責めにならないレベルで、その問いを考えることは、非常に私たちの心を成長させてくれます。
「利用されていると感じる」とき、自分は何を望んでいるのか?
それをお伝えした上で、今日のテーマの「自分が利用されていると感じる」というテーマを考えてみます。
「自分が利用されていると感じる」ということは、自分がその状況に何らかのメリットがある、と考えてみる方向性です。
そんなこと、あるわけない!と思われますでしょうか。
自分がその状況を望んでいるとしたら。
たとえば、自分が前に進まないために、相手を利用している、と考えることができます。
なぜ、そんなにも前に進まないでいるのか?
一つ考えられるのは、前に進むことで感じる何らかの感情が、怖いのかもしれません。
それは自分の素晴らしさであったり、相手との親密さといったものに対する、怖れかもしれません。
その怖れを感じたくないから、「自分が利用されている」と感じるできごとや相手を用意した。
そう考えると、「自分が利用されている」というのは、ある種の幻想であることがわかります。
自分がその怖れと向き合い、一歩前に踏み出すことで、その幻想を解くことができるのです。
「利用されていると感じる」というのは一例ですが、ものの見方の一つとして、ご参考になりましたら幸いです。
「投影」とは、単純ですが本当に深いもので、何度触れても新しい学びがあるテーマのようです。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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