大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

水無月ついたち、熱田さんを歩く。

早いもので、もう5月は過ぎ行き、6月に入りました。

6月、水無月。

東海地方も、例年よりも早く梅雨入りしたようで、雲と傘のマークが週間予報を埋めています。

そんな水無月ついたち、熱田神宮を参拝することができました。

ありがたいことに、梅雨の合間なのか、晴れ間の見える天気でした。

6月のはじめは例祭の期間らしく、いつもの南門の駐車場は閉鎖されておりましたので、東門の駐車場へ。

いつもと違った駐車場から歩くだけで、いつもの熱田さんとは違った雰囲気を感じるようです。

例祭の準備でしょうか、参道には献灯が飾られていました。

こうした献灯を見ると、不思議と故人が思いだされます。

お盆と結びついているからでしょうか。

一つ一つの献灯に、詠まれた句とイラストが描かれており、ぼんやりとそれを眺めて歩くだけでも楽しいものです。

上知我麻神社の境内も、新緑の季節を過ぎ、夏らしさを感じます。

寒い冬の間、その花で和ませてくれた太郎庵椿も、もうさすがに花は落ちていました。

葉を茂らせていく時期。

うっそうとしたその姿は、生命力を感じさせてくれます。

ついたちだからなのか、例祭の前だからなのか、いつもよりも参道を歩く人が多かったように思います。

本殿でも、少し並んで参拝を。

たくさん参拝客が訪れて、熱田の神さまも喜んでいらっしゃることでしょうか。

駐車場へ戻る道は、いつもと違う道でてくてくと。

それにしても、神社を参拝する心地よさのなかの、一定の部分は「歩く」ことなのかもしれません。

「歩く」ことをするだけで、整う何かがあるように思います。

ここであらためて書くまでもなく、「歩く」ことは万能の健康法でもあります。

なかなか、私もできていないのが残念ではありますが笑

走ることも、もちろんいいのですが、「歩く」ことはどこか確実で、ブレがないように思います。

遠い遠い、太古の昔。

私たちの祖先は、なぜ二本の足で歩くことを始めたのでしょうか。

そんなことを考えながら、いつもと違う駐車場への帰り道を歩いていきました。

今月も、ここに来れて、ありがたいことです。

あらためて、そのお礼をしながら、熱田さんを後にしました。