「リーダーシップの原則」とは、「この苦しい私の助けを必要としているのは、誰だろう?」と自分自身に問いかけることを指します。
そして、そこで浮かんだ人たちとの間に、架け橋をかけていくことがリーダーシップであるといえます。
1.あるカウンセラーの言葉
以前に、私がカウンセリングを受けていたときのことです。
お話を聞いてくださったカウンセラーの方の言葉で、いまも覚えている言葉があります。
当時、私は人間関係に悩み、なんとかよくしたいと思い悩んでいました。
ところが、心理学を学ぶと出てくるのは、「自分はどうするか」「自分がどうするか」というお話ばかり。
もちろん、それはそれで真実ではあります。
けれども、なかなか心がついてこないこともあるものです。
「なんで私ばっかり、がんばらないといけないの?」
「なんか、すごく損な役回りのような気がする…」
そんなネガティブな想いが、ふつふつと沸いてくることだって、あるものです。
自分ばかりがんばっていて、相手は得するばっかりな気がする。
当時の私も、そんなことをカウンセラーの方に聞いていただいていました。
けれども、そのカウンセラーの方は、こう言うんです。
「理不尽ですよね。けれども、心の世界では、気づいた人がリーダーシップを取るものです」
はい、理不尽です、と即答したように思います笑
でも、心の世界のリーダーシップとは、そういうものなのでしょう。
歳を重ね、学びを深めるほどに、そう感じられます。
2.リーダーシップの原則
「リーダーシップの原則」というものがあります。
「この苦しい私の助けを必要としているのは、誰だろう?」
という問いかけを自分自身にすること、そしてそこで浮かんだ人たちに対して、手を差し伸べることを指します。
一見すると、結構ハードな問いかけですよね。
私が苦しい状態なのであれば、誰かから助けや援助を求めるのが、普通の見方かもしれません。
けれども、「リーダーシップの原則」はその逆のことを言っています。
その「苦しい私」に、助けを求めている人は、誰なのか?という問いかけです。
そして、その問いかけに浮かんできた人に対して、アプローチをしていくのが、「リーダーシップの原則」であるといいます。
時にそれは、過酷に見えるかもしれません。
けれども、そうした人たちの言葉に耳を傾け、その人たちとのつながりをつくっていく。
それは実は、「苦しい私」自身を、救うアクションでもあります。
言い方を変えるとそれは、自らの才能を、大切な人たちと分かち合うという恩恵でもあります。
苦しいとき、それでも与えられることは、まぎれもなくその人自身の素晴らしい才能であるのですから。
3.「私の助けを必要としているのは、誰だろう?」
時に、「リーダーシップの原則」は、過酷な問いかけに見えるかもしれません。
それでも、この原則に触れて、何がしかの感じるものがあるのでしたら。
それは、あなた自身が、リーダーシップを取ることができる人だということです。
パートナーとの関係。
職場での人間関係。
家族のなかでの関係。
私たちの周りには、いろんな人間関係がありますが、どんな関係においても、その問いかけは非常に重要であり、大きな意味を持ちます。
「この苦しい私の助けを必要としているのは、誰だろう?」
苦しいときにこそ、その問いかけを自分自身にすること。
意外な人の顔が、思い浮かぶかもしれません。
その人に、できることが必ずあります。
それは、自分ではほんの小さなことだと感じることかもしれません。
そんなことをしても、と感じるかもしれません。
けれども、決してそんなことはないんですよね。
その小さなこと、それは助けを必要としてる人との間に、架け橋をつくってくれます。
その架け橋は、助けを必要としている人にとっても、自分自身にとっても、大きな恩恵となります。
今日は、人間関係における「リーダーシップの原則」についてお伝えしました。
今日も、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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