大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

どんなときに「味方でいてくれる」と感じるかを探すのは、愛された記憶をめぐる旅。

どんなときに、「自分の味方でいてくれる」「自分を大切にされている」と感じるでしょうか。

それを考えていくことは、私たちが愛された記憶をめぐる旅のようです。

1.自分自身の「トリセツ」

昨日の記事では、どんなときに「味方でいてくれる」と感じるかを知っておく大切さ、というテーマでお伝えしました。

どんなときに「味方でいてくれる」と感じるかを知っておくことの大切さ。 - 大嵜直人のブログ

「自分自身の味方でいよう」、「自分を大切にしよう」とは、どこでも大切なこととしてよく聞かれる言葉です。

「投影」の視点を使うと、その意味がよくわかります。

自分が自分の味方でいるほどに、自分が自分を大切にできるほどに、私たちはその見方を外の世界に映し出します。

そうすると、自分の味方でいてくれる人が目につくようになりますし、周りからも大切にされていると感じることが多くなります。

これ、周りが変わるというよりは、自分自身の見方が変わっていくんですよね。

同じことを言われたとしても、「あの人はおせっかいで、すぐ人に過干渉してくる」と受けとることもあれば、「あぁ、自分を大切に想ってくれているんだな。ありがたいな」と感じることもあります。

自分を大切にするほど、後者の割合が増えていくのです。

同じ事実であっても、後者のとらえ方をした方が、幸せを感じる時間が多いのは、容易に想像できるかと思います。

それはそうとして、では実際に「自分の味方でいる」「自分を大切にする」こととは、具体的にどんなことを指すのでしょうか。

これは、人によって異なってくるものです。

もちろん、最大公約数的な答えはあるのでしょうけれども、一人ひとり、少しずつ違う答えを持っています。

苦しいときに、叱咤激励をしてくれるのが、味方だと感じる人。

どんなときも、自分の価値を信じてくれるのが、味方だと感じる人。

いろんな味方のあり方、自分の大切に仕方があります。

そのなかで、「自分が」どの方法が、一番味方でいてくれると感じるのかを「知っておく」のは、非常に大切なことというのが、昨日のテーマでした。

自分自身の「トリセツ」(取扱説明書)を知っておく、というイメージでしょうか。

大切にする、味方でいるといっても、それを具体的にどうしたらいいのかを知らなければ、できないですから。

2.どうして、そう感じるのか?

さて、今日はそのテーマを、もう少し深堀りしてみたいと思います。

どんなときに、自分に対して「味方でいてくれる」と感じるのか?

「自分を大切にしてくれている」と感じるのは、どんなときか?

人によって、それは異なるものだと思います。

そこで考えたみたいのが、「なぜ、そう感じるのか?」という部分です。

どうして、そうされると「この人は味方だ」と感じるのか。

なぜ、そのときに「この人は自分を大切にしてくれている」と感じるのか。

それを、少し考えてみたいのです。

もちろん、理論的に証明できる話でもありませんし、感覚的なところでOKです。

これ、「愛し方」「愛され方」と同じで、その人のパーソナリティと、実に深くかかわってくるものです。

離れていても、常に自分を見守ってくれている。

いつも、自分にやさしい言葉をかけてくれる。

目を合わせて、「ありがとう」と言ってくれる。

なぜ、それを自分を大切にしてくれる、味方でいてくれる、愛されていると感じるのか。

正解が、一つだけしかない問いではありません。

何かが間違っているということでもありません。

ただ、なぜ自分がそう感じるのか、自分に問いかけてみるのは、自分自身を知り、それを深める大きな手助けになるものです。

3.愛された記憶をめぐる旅

なぜ、そうされると「味方でいてくれる」「大切にされている」と感じるのか。

正解は一つではありませんし、人によっても異なる問いかけです。

ただ、一つの答えとして考えられるのは、「自分がそのようにされてきたから」ではないでしょうか。

端的に言ってしまえば、

「人は、自分が愛されたように、他人を愛するし、またそのように愛されることを望む」

と表現できるでしょうか。

いつか、どこかで。

そのようにして、大切にされてきた。

そのようにして、味方でいてくれる人がいた。

そのように、愛された。

そうした経験があったからこそ、また「そのようにして大切にされたい」、「同じように味方でいてほしい」と感じるのではないかと思うのです。

これ、結構重要な視点です。

「私は、そんな風に大切にされてきた」

「私は、そのようにして味方でいてくれる人がいた」

「私は、そのように愛されてきた」

ということを知っていることは、実に大きいんですよね。

自分の軸がしっかりと固まるというか、船でいえばそれがイカリのようになるというか。

それは、誰にでもあるものなんです。

だって、「そうされると、大切にされていると感じる」ということを、「知っている」んですから。

そう考えると、先ほどお書きした、自分の「トリセツ」を知っておくというプロセスは、愛された記憶をめぐる旅といえるのでしょう。

 

あなたは、どんなときに「大切にされている」「味方でいてくれる」と感じるでしょうか。

そして、過去にあなたにそのように接してくれた人は、誰でしょうか。

ぜひ、少し時間を取って、考えてみたい問いです。

今日は、愛された記憶をめぐる旅、というテーマにしてお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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