「試合開始は2時なのに、なんでそんなに早く家をでるんだ?」
怪訝そうな視線を向けてくる息子。
いや、それはさ…グッズ売り場寄ったり、お昼食べたりしたり…
ほら、早く行けば、練習が見れるからさ…
とかなんとか説得をして、何とか私の希望の時間に家を出る。
いつもそうだ。
遊園地もテーマパークも、開演前から並んで、できれば閉園までいたいクチだ。
だから私は、必然的にハードワークになるのだろうか。
そのあたりは、深く考えないようにする。
地下鉄の駅を降りて、ドームまでの通路を歩く。
今日は、髙橋宏斗投手が先発で投げる。
3月のWBCでは、決勝でも1イニングを投げ、トラウトやゴールドシュミットといった綺羅星のようなアメリカ代表を抑えた。
息子も、それを楽しみにしているようだった。
息子が野球を観るようになって、このバンテリンドームに来る回数も増えた。
以前は、幼い頃に何度も訪れたナゴヤ球場がホームグラウンドのような気がしていたが、ようやく最近、このドームが「ホーム」だと感じるようになった。
歳を重ねた、ということなのかもしれない。
それとも、ようやく止まっていた私の時間が流れ出した、ということなのかもしれない。
グラウンドと、照明と。
通路を抜けて、視界が広がるこの瞬間は、たまらなくいいものだ。
なぜ、この芝の緑に、こんなにも惹かれるのだろう。
球場で食べるお弁当は、なぜこんなにも美味しいのだろう。
今日は、名古屋名物のみそかつ弁当。
「まだぜんぜん時間あるぞ」
そう言いながら、息子はまんざらでもなさそうだ。
この空間には、時間を忘れさせる何かがある。
そして、「はじまる前」が一番楽しいのだ。
はじまってしまえば、あとは結果が出るだけだ。
どんなに楽しくても、それは終わってしまう。
この、「はじまる前の時間」を、ずっと味わっていたいのだ。
夢の中ならば、人は空だって飛べる。
今日は勝つかなぁ、誰が打つかなぁ、と妄想を膨らませることができる。
だから、早く来ようとするのだろうか。
試合開始。
帽子を取って挨拶をして、マウンドに向かう髙橋投手。
投手とは、孤独だ。
自分の投げるボールで、ゲームが始まる。
4万人の視線が、自分の投げるボールに集まる。
絶対的な主導権を持ちながら、限りない怖れと向き合い続ける、孤独。
独りマウンドに立つ姿を眺めるだけで、涙腺が緩くなる。
はじまってしまえば、終わりがくる。
残念ながら、今日は敗けの目が出た日だった。
先制され、追い上げながらも、あと少し及ばず、最終回で突き放される手痛い展開。
それでも。
敗戦は、明日への希望。
そう信じることでしか、この残念な気持ちは癒せないではないか。
あそこで打てていたらなぁ
息子と、そんなタラレバを話しながら、帰路につく。
来た時の雨は、まだ降り続いているようだった。
敗戦で、多くのファンの涙雨にもなったのだろうか。
今日は、大野雄大投手のレプリカユニフォームを買った。
投手陣の大黒柱として、苦しいチームをずっと支えてきた大野投手。
左腕の遊離軟骨の除去手術により、戦線を離脱することになった。
そんな大野投手を、応援したく。そして、その左腕の快投を観に行くことを楽しみに。
今日の敗けは、明日への希望。
それを信じて、また応援するだけだ。