大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

こころのライトスタンド。 ~小さい頃にハマったものは、なんですか?

自分の「ライフワーク」を探すときに、ヒントになるのが「10歳くらいまでにハマっていたもの」という考え方があります。

10歳くらいというと、小学校の中ごろでしょうか。

そのあたりの年齢で、何にハマっていたのか、何に心を惹かれていたのか。

それを思い出してみると、自分らしい生き方、あるいはライフワークを探すときに、とてもいいヒントになります。

もちろん、そのハマっていたものそのものというよりは、「なぜそれにハマったのか」という要素が、自分らしさのあらわれといえます。

そして、それを思い出していくと、不思議とその要素を持つものをキャッチできるようになるものです。

パズル。恐竜。少女漫画。ドッジボール。夕焼け。レゴ。花冠。

あなたは、何に心を奪われていたでしょうか。

私の場合は、その一つに野球がありました。

野球を自分でするのはヘタだったのですが、野球観戦が好きでした。

 

それを思い出してというわけではないのですが、気持ちのいい五月の風に誘われて、先日、息子と野球観戦に行ってきました。

中日ドラゴンズのホームグラウンド、バンテリンドーム。

「にぎやかなところがいい」という息子の希望で、外野のライトスタンド、ドラゴンズ応援席に。

バンテリンドームには何度も来ていますが、外野席で観戦した記憶がほとんどありません。

もしかしたら、初めてなのか、それとも本当に1度かそこらしか来たことがなかったのかもしれません。

 

バンテリンドームに移転する前の本拠地である、ナゴヤ球場には、父に連れられて何度も訪れた記憶があります。

屋外球場だったからでしょうか。

父と観戦に行くときは、いつもナイターだった記憶ばかりです。

当時のナゴヤ球場のライトスタンドは、自由席でした。

いい席で観ようと、開門の前から並んだものでした。

父と観戦に行くと、いつもヒロオカさん(仮)という方がいらっしゃいました。

ヒロオカさんは、父の会社の知り合いとのことでしたが、ドラゴンズの試合は必ず観にくる熱心なファンでした。

「ヒロオカくん」と父が呼んでいたので、おそらくは父よりも年下だったのでしょう。

ヒロオカさんは、いい席が近くで空いていると、私と父を招いてくれました。

父は、そのお礼にビールを奢ったりしていました。

 

当時のナゴヤ球場のライトスタンドは、なんというか、すごく混沌としていた気がします。

みんな、試合開始前に新聞紙を小さく切って、紙吹雪を作っていました。

足元には、前日に舞ったであろう紙吹雪が、雪のように積もっていました。

試合前から酔客も多く、いかつい風貌の方々も、多かった記憶があります。

怒号や言い合いも聞こえてきたりして、臆病な私は父の背にいつも隠れていました。

ただ、生命力というか、エネルギーというか、そういうものは、満ち満ちていたように思います。

だからでしょうか。

いつも私は父に、ライトスタンドがいい、と言っていました。

今ではできないことなのかもしれませんが、内野席のチケットなのに、外野席で観戦したこともありました。

 

息子と訪れる、バンテリンドームのライトスタンド。

そこは、記憶のそれとはずいんぶと違っていました。

実に綺麗になって、30年以上も前の記憶との違いに、戸惑っていました。

それでも、変わらないのは、試合前のワクワク感でしょうか。

今年も我がドラゴンズは、開幕から苦しい戦いが続き、最下位に沈んでいます。

それでも。

今日、この日、これから起こることは、だれにも分からない。

そして、まったく予期もしていなかった、素晴らしいことが起こるかもしれない。

まっさらな未来に向ける、期待と興奮。

それは、変わっていないように感じました。

 

プレイボールがかかり、遠くのマウンドで我がエースが投げる。

きっとだいじょうぶだ、俺たちがついてる。

抑えてくれ、と祈る。

旗が振られる。鳴り物が鳴る。

みんながメガホンを叩いて、声を枯らす。

「みんなで」、「だれかを」、応援する。

幼い私は、それが好きだったのかもしれません。

いまも、カウンセラーをしているというのも、そんな私の資質のあらわれなのかもしれません。

そんなことを思い出す、野球観戦でした。

 

さて、あなたが小さい頃にハマったものは、なんでしょうか。

それを思い出してみると、「ライフワーク」を見つける一つのヒントになるのかもしれません。