心理学における「期待」とは、形を変えた欲求の一種です。
それは相手を試すような、依存的な態度であるため、必ず裏切られるものです。
「期待」よりも「信頼」という態度があることをお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.何かを期待しなければ、どんなものでもそれがすべてである。何かを期待すれば、あらゆるものは無になる
どんなものであっても、すべては驚きと新しい発見を与えてくれます。
ところが何がしかの期待や、「こうあるべきだ」というイメージをあらかじめもっていると、それが制限になってしまいます。
そして自分の期待どおりではないものがあらわれると、期待は落胆や失望へと早変わりします。
期待とは、その状況もしくは人が「こうあるべきだ」「こうなるはずだ」という、あなたの思いこみです。
つまるところ、期待というのはだれかに対する要求なのです。
だれかに何かを暗に要求されているのを感じたとき、あなたならどう反応するでしょうか。
まったくとりあわないかもしれません。
もしそれにこたえてあげたとしても、与えることを楽しめないかぎり、無理やりやらされたような感じが残るでしょう。
あらゆる期待を手放すことで、あなたの人生はよりスムーズになるのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.57
2.「期待」とは、かたちを変えた欲求
一般的な「期待」の意味との違い
今日のテーマは「期待」です。
「期待」と聞くと、一般的にはポジティブなイメージがあります。
「君には、とても期待している」
「ドラゴンズは立浪新監督のもと、今年こそ期待できる」
「あの映画の続編に期待している」
・・・などなど、割とポジティブな場面で使われるイメージがあります。
しかし、本書でいうところの「期待」は、どちらかというとネガティブな意味合いがあります。
それは、形を変えた欲求、という意味を含んでいるからです。
もちろん、一般的なイメージが間違っているというわけではありません。
本書や心理学で使われる場合は、そういった意味を持つ、というだけのことです。
相手を試すような、期待
誰かや何かに「期待」するとき、私たちは主体性を失っています。
現実よりも、「こうなったらいいな」「こうしてくれるはずだ」という想いを持ちます。
そして、それはよく裏切られるのですよね。
我がドラゴンズも、ここ何年も期待をしては・・・いや、何でもありません。今年こそは・・・泣
それはさておき、「こうしてくれるはず」という想いが裏切られた経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
親、パートナー、子ども・・・近い関係になればなるほど、そうした想いは顕著に出てくるようです。
なぜ、裏切られるのか。
それは、「期待」を持っていると、相手を試すような行動になってしまうことが、一因かもしれません。
「まずは、このハードルを飛んでみてよ」
(相手が飛ぶ)
「ふーん、飛んだのね。でも、それが飛べるなら、これも飛べるよね」
(どんどんハードルが高くなる)
(相手がハードルを飛べない高さになる)
「ほら!やっぱり飛べなかった!私を裏切った!」
・・・と、こんな心理は、誰もが経験するのでしょう。
それは、そうですよね。
相手が飛んでも、飛べない高さになるまで、「期待」のハードルを上げていくのですから。
まるで、世界陸上の棒高跳びのようなものかもしれません。
世界記録が出たとしても、最後には飛べない高さが、やってくる。
「期待」に応えることは、原理的に不可能なようです。
3.期待よりも、信頼を贈ろう
期待は手放すもの、ただそれは諦めることとは違う
「期待は裏切られるもの」
心理学における、格言のようなものです。
もちろん、「期待」してしまう分だけ、大切な存在であることの証明ではあるのでしょう。
「期待は手放すもの」
これも、よく言われます。
今日の引用文でも、「期待」を手放すことで、人生がスムーズに流れると書かれています。
自分の欲求に合わない現実に、一喜一憂するよりも、それを手放してしまった方が楽になれる、というほどの意味でしょうか。
しかし、それは相手に対して失望する、諦めるということとは違います。
いま目の前にある現実を受け入れた上で、よりよい未来を見ること。
そうした主体的な態度を、心理学では「信頼」と呼びます。
「期待」よりも「信頼」を贈ることが、人間関係をよりよくする上で大切なようです。
信頼は、原理的に裏切られない
「信頼は裏切られることはない」
これもよく言わることです。
なぜでしょうか。
「信頼」をしていた場合、たとえ自分の望まない現実が現れたとしても、それを受け入れることができます。
自分の望まない態度を取る相手を、そのまま丸ごと受け入れようとできます。
それは、自分の気持ちを我慢したり、犠牲にしたりすることではありません。
いまの自分と、いまの相手と。
それぞれを客観的に見た上で、お互いの望む未来を、信じることができます。
だから、「信頼」は、原理的に裏切られることがありません。
とはいえ、なかなかそこまで「信頼」を贈ることは、難しいのですけれどね。
以前に書いた「許し」と同じように、「期待20%、信頼80%」といった、グラデーションの中にあるのが、私たち人間なのかもしれません。
「『信頼』することができる自分を、信じる」ということが、必要なのでしょう。
「期待」を手放した先に、「信頼」という世界がある、ということだけ、知っておくだけでも、大きいことなのだと思います。
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