「人生の目的」とは何かを考えたとき、「何をするか」ではなく「どう在るか」の方が本質的なようです。
そして、「どう在るか」とは、すなわち自己一致と言い換えることができます。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.あなたの人生の目的が充実感をもたらす
人生の目的を生きることは、幸せを見つけるカギです。
多くの人が自分の目的は何なのかで悩んでいます。
けれども目的というのは、何かしら特定の「行動をとる」ことではありません。
目的はあなたの「あり方」そのものなのです。
あなたが自分自身をあらわし、人となりを開花させるほど、そしてあなたが本当にこれをしたいという「呼び声」を聞けば聞くほど、あなたの幸せが見つかることでしょう。
自分が、本当にしたいことを誠実さをもってすれば、幸せと充実感がもたらされます。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.379
2.人生の目的とは、何をするかではない
今日のテーマは、「人生の目的」でしょうか。
心理学というよりも、哲学的なテーマに近い気がしますよね。
「人生の目的」という病
「人生の目的とは、何だろう?」
誰もが一度は考えたことのある問いではないでしょうか。
その問いの答えを持っている人は、おそらく誰もいません。
包丁は、お肉や野菜を切るために、つくられます。
自動車は、人を乗せて走るために、つくられます。
しかし、人はそうではない。
人は、誰に頼まれたわけでもなく、この世に生を受け、そして去っていきます。
「あなたは、この目的をもって生まれてきたんだよ」という理由を教えてもらえればいいのでしょうけれど、そうではありません。
その答えを持っている人は、神さまか、それに近しい存在しかないのかもしれません。
けれども、人は「人生の目的」を探します。
そして、それがなかなか見つからなかったりして、人は葛藤したりします。
花も、虫も、鳥も。
「生きる目的」がなくても、生きているのに。
人だけが、「人生の目的」を探す。
因果なものですよね。
…とまあ、「人生の目的」と聞いて感傷的になってしまい、少し横道にそれてしまいました、すいません笑
「〇〇ではない」という探し方
横道から戻って、もう少し「人生の目的」について考えてみます。
あることを定義するのに、肯定から定義する方法があります。
「三角形は、内角の和が180度である」
「ネコは、ふさふさで気まぐれである」
…などなど、「〇〇とは、〇〇である」と定義する方法ですね。
その一方で、否定から定義する方法もあります。
「カブトムシとは、コガネムシではない」
「台形とは、三角形ではない」
定義することが難しいことに対して、こうした否定から定義する方法が役に立つことがあります。
「人生の目的」もまた、そうした否定から定義した方が、分かりやすいのかもしれません。
というもの、「人生の目的」が見つからない葛藤は、「何をするか」という視点のみで語られることが多いからです。
多くの人が自分の目的は何なのかで悩んでいます。
けれども目的というのは、何かしら特定の「行動をとる」ことではありません。
引用文にある通り、
「人生の目的」とは、何かしらの特定の「行動」や、あるいはその「結果」「成果」ではない
と考えると、少し違った風景が見えてきます。
「憧れの職業を仕事にする」
「愛する人と結婚して子どもを授かる」
「好きな国に移住する」
などといった特定の行動は、「人生の目的」とはなりえない、という見方です。
もちろん、そうしたことを目標にして、何らかの行動をしたり、努力したり試行錯誤したりことは、素晴らしいことです。
ただ、それを「人生の目的」にしてしまうことは、「手段の目的化」を招いてしまうことがあります。
自分にとっての「人生の目的」を考えるときに、持っておきたい視点です。
3.自己一致が、充実感と幸せをもたらす
「人生の目的」を「在り方」とする視点
ある特定の行動や、何をするかが、「人生の目的」ではない。
そうだとするなら、「やり方」ではなく「在り方」の方が、「人生の目的」であるといえるのかもしれません。
目的はあなたの「あり方」そのものなのです。
なかなか、想像しづらいですけれどね。「在り方」が人生の目的って。
「あなたの人生の目的とは、その歌声を多くの人に届けることです」というように、「やり方」の方が、パッと見て分かりやすいですよね。
そうではなくて、「在り方って???」となりますよね。
それに、「在り方」と聞くと、何か聖人君子のような振る舞いを求められるような、そんな堅苦しさを感じるかもしれません。
けれど、「在り方」とは、決してそうではないと思うのです。
理想とされる、単一のモデルとなるような「在り方」があるのではない。
「在り方」とは、その人その人で、違っていい。
そうでないと、「人生の目的」はみんな一緒、というある意味でディストピアの世界になってしまいます。
それは、すごく息苦しくて、イヤですよね笑
「在り方」とは、自己一致のこと
ここでいうところの「在り方」とは、そんな画一的なものではありません。
「在り方」とは、少し言葉を変えると自己一致といえます。
自分に対しての、偽りのなさ。
他の誰でもない、自分らしさ。
本来の自分。
自分に対して誇りを持ち、自分を愛していること。
自分自身の人となり。
自分の個性や性格を、受容していること。
そうしたことが、自己一致です。
もちろんそれは0か100か、といったことではありません。
グラデーションのように、本来の自分にどれだけ近づいているか、という見方です。
それは二つの円が、どれだけ重なっているか、というようなイメージなのでしょう。
その円を重ねることこそが、「人生の目的」。
そう考えると、意外と「人生の目的」とは難しいことでもないのかもしれません。
もちろん、それが一致していけばいくほどに、この生に対しての幸福感や充実感を感じられるようになり、結果として何がしかの行動をできるようになったりもするのでしょう。
けれど、それはあくまでも「結果」であり、それ自体を「目的」にすることは難しいのでしょう。
「人生の目的」とは自分自身の「在り方」であり、それは自己一致である。
一つの視点として、ご参考になりましたら幸いです。
今日は「人生の目的」という壮大なテーマについて、少し考えてみました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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