大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

パートナーシップにおいて大切な、「わたしたち」という視点を持つための順番について

パートナーシップにおいて、「わたしたち」という視点を持つことは、いろんなことを教えてくれます。

まずは「わたし」を満たす、つぎに「あなた」に与える、そして「わたしたち」について考える、という視点をお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.どのカップルにも目的がある

どの人にも個人的な人生の目的があります。

それと同じように、どのカップルにもみな、目的があります。

その目的とは幸せを生みだし、経験することです。

不幸があるなら癒しが目的になります。

それはつねに何かしらの許しや、自分が引きこもってきた部分を与えることに関係しています。

 

カップルが真のパートナーシップを創造性に到達すると、そこに個人的な機能が生まれ、この世界により明確な創造性をあらわすようになります。

あるときは子供というかたちで、また、あるときは何かクリエイティブなプランというかたちで、もしくは、それぞれがある意識のレベルに達するというかたちで、そのカップルの結果が実ります。

 

あなたがたの関係がまわりにインスピレーションを与え、人々の癒しのきっかけになるかもしれません。

それがみんなに知らせ、希望を与えることになります。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.433

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2.個人の目的、ふたりの目的

今日のテーマは、「『わたしたち』という視点」でしょうか。

パートナーシップは「わたし」と「あなた」で構成されますが、そこに「わたしたち」という視点を持つことは、とても大切なことのようです。

「わたし」と「あなた」、そして「わたしたち」

パートナーシップは、実にさまざまなことを私たちに教えてくれます。

愛する喜び。
誰かのために生きる充実感。
すれ違いの悲しみ。
相手が見せてくれる自分の闇。

ポジティブなものから、ネガティブな面まで、本当にさまざまなことを私たちはパートナーシップから学びます。

もちろん、それはパートナーシップに限ったことではないのかもしれません。

パートナーに限らず、他人と関わるということは、実に多くのことを私たちに教えてくれます。

さて、そうした関係性のなかで語られることは、「個人な視点」になっていることが多いものです。

たとえば「パートナーシップから何を学ぶのか」という見方は、「私」の視点からパートナーシップを見ています。

同じように、「彼はなぜ、私を振ったのだろう」という視点もまた、「彼」の視点から見ています。

もちろんそれが間違っているわけでもありませんし、「わたし」と「あなた」の間に明確な線を引いて考えることは、非常に大切です。

共感性が高かったり、癒着しやすい気質の方は、その境界線があいまいになって、苦しくなってしまうことも多いものですから。

しかし、「わたし」と「あなた」という視点ではなく、「わたしたち」という視点が、今日のテーマです。

その視点を持つと、少しパートナーシップの風景が変わって見えることがあります。

個人の目的と、ふたりの目的

人は誰にでも、個人的な目的があります。

目的、という言葉だと少し堅苦しくなってしまいますが、「自分のしたいこと」という表現でもいいかもしれません。

「私は、あなたと一緒にいる時間を増やしたい」

「私は、もっとコミュニケーションが取りたい」

パートナーシップにおいても、そうした「わたし」のしたいことは出てくるものです。

それは、相手もまた同じです。

「私は、いまの関係性が心地よい」

「あまりLINEの回数が多いと、私は億劫になってしまう」

そのズレが、すれ違いとなったり、対立の原因となったりします。

もちろん、そうしたすれ違いや対立から学べることは、とても貴重で、そして私たち自身を大きく成長させてくれるものです。

妥協や我慢ではなく、押しつけでもなく。

「わたし」と「あなた」の心地よいところを、一緒に探していくという過程は、創造性と共感性、そして相手を思いやる心が求められるものです。

けれども、今日のテーマはそことは少し違います。

「わたし」と「あなた」という視点ではなく、「わたしたち」という人格を見る、というテーマです。

これは、順番的には「わたし」と「あなた」との線引きをしっかりした後に、持つことのできる視点といえます。

先に述べた、癒着や執着がある状態では、「わたし=あなた」になってしまいますが、その状態と「わたしたち」はまた少し違います。

例えとして適切かは分かりませんが、「会社」というものは、個人の集まりでできています。

「〇〇株式会社」という会社に勤める「大嵜直人」がいたとしても、「〇〇株式会社=大嵜直人」ではないですよね。

もちろん、名刺には「〇〇株式会社」と書かれているのでしょうけれども。

「大嵜直人」という個人と、「〇〇株式会社」という法人は、違うものです。

けれども、「大嵜直人」君は、赤ちょうちんのお店で、ジョッキを片手に「ウチの会社はさー」とかクダをまいたりしているのかもしれません笑

パートナーシップもまた、そうした「〇〇株式会社」と見ることができます。

それは、「個人」という視点から、から少し視野を上げた見方、といえます。

今日の記事で語るところの「わたしたち」という語の持つ意味は、そういったイメージです。

3.「わたしたち」のために

「わたしたち」という視点 ~ケネディ大統領の演説から

この「わたしたち」という視点が、パートナーシップを考えるときに非常に重要な視野を与えてくれます。

「わたし」と「あなた」の間にある、パートナーシップ。

そのパートナーシップに、人格を見いだす、と表現できるでしょうか。

そうすると、個人が生きる目的があるように、パートナーシップ=「わたしたち」にも、目的があると見ることができます。

先の例の、「〇〇株式会社」にも、何らかの経営理念があるのと、同じことです。

そのように見たときに、「わたし」とも、「あなた」とも違う、「わたしたち」の視点を持つことができます。

「『わたしたち』のために、わたしができることは、何だろう?」

「『わたしたち』が出会ったことで、何ができるのだろう?」

そのような問いかけは、「わたし」の視点では思いもよらなかった答えを、導いてくれるものです。

うさん臭く感じるでしょうか笑

でも、ほんとうなんですよ。

 

史上最年少でアメリカの大統領になった、ジョン=F=ケネディの就任演説の、あまりにも有名な一節があります。

「国があなたのために何ができるかではなく、あなたが国のために何ができるかを問うてほしい」

少し説教臭く聞こえますでしょうか笑

この演説から半世紀以上の時が流れ、国家と個人のありようも、変化してきました。

けれども、この一節が時を超えて人々の心に訴えかけるものがあるとしたら、それは普遍的な人としての在り方を語っているからかもしれません。

たとえば「国家」の部分を、パートナーシップにおける「わたしたち」に置き換えてみては、いかがでしょうか。

少し、違ったものが見えてきませんでしょうか。

まず「わたし」、つぎに「あなた」、そして「わたしたち」の順番

繰り返しになりますが、これは「わたし」と「あなた」との線引きをしっかりとした後で、はじめてできることです。

「そんなん、『わたしたち』ゆうても、あたしだけが我慢せなあかんの?なんか損した気分やわぁ」

そんな風に感じるのも、パートナーシップにおいては、とてもよくあることですよね。

だって、にんげんだもの笑

ただ、もしそう感じるのであれば、まずは「わたし」を満たすことが必要になります。

今日のテーマは、その前提の上でのお話です。

まずは、「わたし」を満たす。
つぎに、「あなた」に与える。
そして、「わたしたち」のことを、考える。

いくら「わたしたち」の視点が大切とはいっても、そうした順番を忘れないようにはしたいものです。

 

今日は、パートナーシップにおける「わたしたち」という視点、というテーマでお届けしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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