大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「許し」への道は奇跡と援助に満ちあふれているけれども、その一歩目だけは自分で踏みだすしかない。

「許し」とは、起こったできごとや、いま目の前の世界を、主体的に受け入れることで、自分自身を自由にしてくれます。

しかし、その一歩目は、自分で踏みだす必要があります。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.「みんな天国に行きたがるのに、だれも死にたくはない」

これは何年も昔の歌の題名です。

ここでのポイントは、「天国」が何であるにせよ、いまの私たちが経験しているものとは違うということです。

ですから「天国」にいけるようになるためには、私たちは変わらないといけないし、現在の自分がいったん「死」を通過しなくてはならないのです。

 

よろこびと愛の意識の状態に達するには、許し、手放さなければなりません。

そして、本来の自分とふたたびつながり、思いだす必要があるのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.462

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2.「許し」という希望

今日のテーマは、何でしょうね。

いつにもまして、感覚的な引用文ですが、やはり「許し」のような気がします。

「許し」について

一般的に「許し」というと、相手の言葉や行動に、自分の側が許可を出す、という意味になります。

しかし、心理学での「許し」とは、少し違った意味になります。

「許し」とは、相手やできごと、あるいは世界そのものを、主体的に100%受け入れることを指します。

「主体的に」というところが、ポイントです。

自分の意図しないできごとが起こったとき、私たちは自分ではない誰かのせいにしたくなります。

彼女が、上司が、両親が、時代が、社会が、神さまが…といった具合に。

それは私たちの心が傷ついたと感じたときの防衛反応でもあるのですが、一方で副作用があります。

それはいうまでもなく、罪悪感です。

誰かを責めることは、自分自身のなかに罪悪感を生みます。

その罪悪感は、自分自身を幸せにしない方向へと導いてしまいます。

その責める理由が、いくら正しかったとしても、その自分自身を責める刃からは、逃れられません。

「許し」の大きな恩恵は、そうした罪悪感から自分自身を解放してくれることです。

「許し」のプロセスでカギになるのが、「感情的理解」です。

これは、相手と同じ立場だったなら、自分も同じことをしただろうな、という感情レベルでの共感です。

自分が親の立場になってみて、親の気持ちが分かったという話はよく聞きますが、まさにそのような理解が、相手を許すことにつながります。

「許し」とは、もちろん相手のためでもあるのですが、何よりも自分自身を自由にするためにするものといえます。

「あなたが幸せでないなら、誰かを許していない」

「許し」。

心理学において、最も重要な概念であり、そして人に授けられた偉大な力の一つだと思います。

「あなたが幸せでないなら、誰かを許していない」

私が心理学を学び始めたころに聞いた、そんな金言を思い出します。

自分が幸せを感じることに、何がしかの抵抗やひっかかりがあるのなら、そこには許せない誰かがいる。

それは、ある意味で教訓のようでもあり、ある意味で希望ともいえます。

どんな幸せでない状態だったとしても、そこから「許し」の道を歩きはじめることができる。

それは、ある特定の人にしかできないことでは、ありません。

自分の心と向き合う真摯ささえ持ってさえいれば、いつでも「許し」の道を歩きはじめることができます。

いままで許してこなかったのには、何らかの理由や事情があったのでしょう。

けれども、いまこの瞬間から、「許し」への道を歩きはじめることができます。

3.幸せになりたいなら、自分から許すこと

幸せにつながる「許し」への道は、いまこの瞬間に開かれている。

しかし、その道は自分自身の足で歩く必要があります。

代わりに誰かがやってくれるわけでは、ないんですよね。当たり前ですが笑

何もしなれば、勝手に誰かが許してくれたり、相手がアプローチしてきてくれるわけではありません。

いや、相手が何かアプローチしてきたとしても、自分自身の「許し」とは何の関係もないこともあります。

 

わかりやすいのが、「許せない」と思っていた相手との関係です。

長い間、相手とケンカしていたとします。

どう考えても、相手の方が悪いし、人としておかしい。

一言でもいいから、謝ってもらわないと、先に進めない。

そんなふうに感じていたとします。

そんなある日、突然にその相手から連絡がきました。

「いままで、ずっとごめんなさい。きちんと謝らせてください」

殊勝な態度で、お詫びと謝罪の言葉を述べてきたとしたら。

それで、すべて許せるかといえば、そうではないことが多いのではないでしょうか。

「いまさら、何言ってんだ。いままでの時間を返せ」

そんな風にすら、感じてしまうかもしれません。

いままでずっと、「謝ってほしい」と望んでいたにもかかわらず、です。

結局のところ、自分の内面が癒されないと、その葛藤は続きます。

 

だから、幸せにいたる「許し」の道は、自分自身の道なんです。

誰でもない、自分自身の幸せにいたるための道。

そして、その道は、いつでも開かれています。

そして、一歩その道を歩みはじめれば、ほんとうに奇跡のようなサポートが、たくさん入ってくるものです。

けれども、その最初の一歩は、自分の足を踏みだす必要があるのでしょう。

すべては、自分から。

誰のものでもない、自分自身の幸せのために。

「許し」の道は、あります。

 

今日は、「許し」というテーマで、お伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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