「感情的理解」の先には、「許し」という大きな恩恵があります。
その「許し」の意味とプロセス、そして恩恵について考えてみます。
1.「もし自分がその状況だったら」という理解
先日の記事では、「感情的理解」のすすめ、というテーマでお伝えしました。
「もし自分だったら、どう感じるだろう」という感情的理解のすすめ。 - 大嵜直人のブログ
「感情的理解」とは、その字の通り、
「相手のことを、目に見える言動ではなく、感情ベースで理解しようとする試み」
のことを指します。
ものすごく悪い態度を取る相手に対して、その態度に反応するのではなく、どんな感情からその言動をしているのだろう?という視点で見てみること。
たとえば、子どもがわざとジュースをこぼしたり、おもちゃを片付けなかったりするとき。
その行動に目を向けるのではなく、「何を感じているのだろう?」という内面に目を向けてみることは、感情的理解といえます。
悪い行動をする裏側には、「寂しさ」があったり、何か伝えたいのに伝えられないことがあったりするものです。
そうした感情から相手を見ていくのが、「感情的理解」です。
「もし自分が同じ状況や立場だったら、自分も同じことを言ったり、同じ行動をしたかもしれないな」
相手をそのように理解していくと、単に目に見えるできごとや相手の言動とは、異なる風景が見えたりします。
しかし、これは自分に余裕がないと、できないものです。
先に挙げた子どもの行動にしても、忙しかったりすると、「なんでそんなことするの!」となってしまうものです。
はい、私も大いに思い当たる節があります笑
「感情的理解」にしても、相手を理解したり、思いやったりするためには、まずは自分をいたわる、自分の感情を解放しておく。
それが、大原則です。
2.感情的理解は、自分に恩恵がある
この「感情的理解」によって相手とつながると、自分にとって何かいいことがあるのか?というと、あるんですよね。
莫大な恩恵があります。
今日のタイトルにある通り、「感情的理解」の先には、「許し」があります。
「許し」という言葉には、「許してあげる」というように、相手に情けをかけてあげるようなイメージがありますが、心理学においては、少し違う意味合いになります。
心理学における「許し」とは、徹頭徹尾、自分のためにするものであり、自分自身に大きな恩恵を与えてくれるものです。
「もし、あながた幸せでないなら、それは誰かを許していない」
という金言がありますが、「許し」は自分の幸せと大いに関係があります。
私たちの幸せを阻む、最も大きな要因の一つが「罪悪感」です。
「罪悪感」にもいろんな種類がありますが、分かりやすいのは「誰かを責めること」「誰かを傷つけたこと」「誰かを助けられなかったこと」に対するものでしょうか。
こうしたことが抱く「罪悪感」は、私たちを幸せから遠ざけ、自分がしんどくなる、辛くなるような選択ばかりをさせるようになります。
「罪を犯した」のですから、それは当然ですよね。
罪人は、その罪を償わなければならないわけですから、自分に対してずっと何らかの罰を与え続けるのが、「罪悪感」です。
なんだかおもたーくなってきましたが笑、「許し」はそうした「罪悪感」から私たちを解放してくれるものです。
そうすることによって、相手やできごとを主体的に受け入れ、自分自身の人生を歩くことができるという、大きな恩恵を与えてくれるのが「許し」です。
3.「許し」のプロセス
さて、先ほど「感情的理解」の先には「許し」がある、と書きました。
今日は、その「許し」に至るプロセスを、少し見てみたいと思います。
「許し」のプロセスには、大きく分けて4つの過程があります。
- 感情の解放
- 感情的理解
- 感謝
- 恩恵を受けとる
まず初めに必要なのが、「感情の解放」です。
上でも触れたように、自分に余裕がない状態では、相手を感情的に理解することは難しいものです。
自分に余裕をつくるとは、自分の感情を解放し、それに振り回されない状態をつくることです。
そのためには、誰かに話を聞いてもらったり、カウンセリングを受けたり、自分の思っていることを紙に書いてみたり、いろんな手段がありますよね。
そうして自分の心に余裕ができると、相手の立場や状況を想像することができるようになります。
「もし、自分が相手と同じ立場だったら、同じことをしたかもしれない」
そのように感じられたとき、私たちは「感情的理解」をしているといえます。
そうした理解が進むと、相手への「感謝」が芽生えてきます。
「あの人のおかげで、大切なことに気づかされた」
「あのできごとがあったことで、自分が本当は何をしたいのか考えることができた」
そうした情感がともなうものです。
ここまでくると、あなたの周りにはいろんな形で「恩恵」があらわれてくることでしょう。
それは、いろんなつながりかもしれません。
自分の魅力や価値、才能といった部分かもしれません。
あるいは、ずっとそこにあった愛に気付く、という形かもしれません。
いずれにせよ、「許し」の先には、実に大きな「恩恵」が待っています。。
「許し」とは、相手のためにするものでもなく、仕方なくするものでもなく、自分のためにするものです。
もちろん、最後の「恩恵を受けとる」までいったら終わり、というものでもありません。
まるで螺旋階段のように、次のステップでの「感情の解放」が始まり、より深いレベルでの「許し」へと導かれたりもするのでしょう。
ただ、そうしたときも、やはりこのプロセスを軸にして「許し」が進んでいくことは多いものです。
ご参考にしていただけましたら、幸いです。
今日は、感情的理解は「許し」へと至る道、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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