相手を「コントロール」しようとすると、相手も自分も窮屈で不自由になってしまいます。
それは、自分が傷つきたくないという不安や怖れから生まれるのですが、信頼を送ることで緩めることができます。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.あなたが手に入れていないものは、自分でコントロールしてきたもの
サーフィンでは波をコントロールしようとしないし、スキーでも山を征服しようとはしません。
ただ流れに乗るだけです。
そうすればうまくいくのです。
「コントロール」はあなたにこう言います。
「私は自分自身にも聞いてくる人にもすべて、よりよい答えをもっている」と。
そこには何かを失うのではないか、傷つくのではないか、うまくいきすぎると圧倒されてしまうのではないか、という怖れがひそんでいます。
実際あなたは、何かに圧倒されたり、あるかどうかもわからない古い痛みにふれるくらいなら、いっそうまくいかないほうがよいので、コントロールすることによって成功を邪魔するのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.403
2.「コントロール」するほどに、難しくなる
今日のテーマは、「コントロール」でしょうか。
「自立」の典型的な状態のひとつである、「コントロール」。
その心理について、少し掘り下げていきたいと思います。
自分の思い通りにするのは、自分を守るため
「コントロール」とは、相手を自分の思い通りに支配しようとする行動や思考を指します。
その相手とは、他人だけでなく、自分自身でもあり、何かの結果であったりもします。
自立的な人ほど、「コントロール」しようとする傾向が多いのは、想像がつきやすいのではないでしょうか。
めっちゃ仕事をバリバリやっている人って、他人のスケジュールから何から、自分の管理下に置きたがるイメージがありますもんね。
その「コントロール」には、理論的なものもあれば、権威を使ったものもあれば、感情を使ったものまで、実にさまざまな手段があります。
- 「こういうときは、このやり方をするのが当たり前だ」(論理、正しさ)
- 「業務命令だから、やってもらうしかない」(会社、上司という権威)
- 「ちゃんと宿題やったの?見せてみなさい」(親という権威)
- 「もしあなたと別れたら、私がどんなにひどいことになるか、想像してみてよ」(被害者の立場からの感情)
…などなど、実にいろんな場面で、私たちは他人や状況を「コントロール」しようとするものです。
さて、こうした「コントロール」によって、相手を自分の思い通りにしようとするのは、ひとえに「自分の身を守りたい」という想いがあります。
相手を「コントロール」することによって、傷つかない、裏切られない、見捨てられない、といった状況にすることで、安心しようとするわけです。
その裏側には、「依存」の時代に深く傷ついた経験があります。
傷ついた、裏切られた、見捨てられた、と過去に感じたことがあるからこそ、二度とそんな想いはしたくないと、状況を「コントロール」しようとする。
ここが、「コントロール」の心理を考えるときに、抑えておきたい大きな視点です。
「コントロール」するほどに、自分も不自由になっていく
さて、そうした「コントロール」で、相手が自分の思い通りに従ってくれたとして。
しばらくは、ほっとするかもしれません。
「あぁ、よかった、思い通りになった。これで、もう傷つかなくても済むぞ」、と。
しかし、そうした「コントロール」は、それをするほどに、相手ばかりか自分自身をも不自由にしていきます。
そこには、2つの要因があります。
まず1つめは、「受けとれない」問題。
相手が思い通りに動いてくれたとしても、「コントロール」をしている分、それを自分が受けとることが非常に難しくなります。
先ほどの例で、部下が「この上司のために、がんばろう」と思って、がんばってついてきたとしても、「どうせ、会社命令だからやってるんだろう」と感じて、その愛情を受けとれなかったりします。
はい、非常によくあるというか、私にとって耳の痛い話です笑
これは、パートナーシップや夫婦関係においても、よく起こる話です。
要は、「コントロール」しているから相手がついてきてくれるのであり、「コントロール」をやめてしまったら、いつか自分を見捨てるのではないか、また裏切るのではないか、という根源的な不安や怖れを抱いているわけです。
そうすると、当然ながら「コントロール」をもっと強くして、傷つかない、裏切られない状況をさらに強くしようとします。
これは、終わりのない螺旋のように、しんどいものです。
2つめは、「コントロールを自分に投影してしまう」問題。
「コントロール」によって、相手や状況が自分の思い通りになっているとしたら。
その「コントロール」を、ずっと続ける必要がでてきます。
だって、それを手放してしまったら、相手がどこかへ行ってしまったり、自分を愛してくれなくなったりするかもしれない。
だから、「コントロール」し続けるしかない。
そうして、「コントロール」を続けていくと、いつしかその「コントロール」を自分自身に投影していきます。
たとえば、先の例でいえば、「親という権威」でコントロールしてきたとすると、四六時中「権威ある親」でないといけなくなります。
あるいは、「正しさ」で周りをコントロールをしてきた場合、自分が間違えることが極端に怖くなります。
つまり、相手を「コントロール」することにより、自分自身にも同じ「コントロール」を差し向けてしまうわけです。
これは、相当に窮屈な感じ、不自由な感じを受けるのが、想像できますよね。
正しくないと、ちゃんとした親でないと…そのような「コントロール」が、自分自身を縛る鎖にもなってしまいます。
この2つが、「コントロール」をすることで、自分と相手を不自由にしてしまう要因です。
3.コントロールしなくても日は昇るし、月は満ちる
「コントロール」をしていると、自分も相手も、何かと不自由で、窮屈な想いをしてしまう。
だからこそ、「コントロールは、信頼で手放そう」と言われたりします。
「信頼」とは、愛の一つの形であり、その人を愛し、その人の選択を応援することです。
引用文にある、サーフィンと山登りの例が、秀逸ですよね。
サーファーは波をコントロールしようとしないし、登山家は山を征服しようとしたりしない。
ただ海を、あるいは山を信頼して、それがつくりだす流れに乗っているだけである、と。
とても素敵なたとえですよね。
そうするためには、やはり私たちが「コントロール」する原因にもなった、依存時代の痛みや傷と向き合うことも、非常に有効なアプローチなのでしょう。
その傷が、少しずつ癒えていくほどに、「コントロール」をする必要もなくなっていきます。
そうした先にある「コントロール」のないイメージを、また本書から引用しておきたいと思います。
イメージしてください。
あなたが毎朝、太陽を昇らせなくてもいいし、川の流れを押さなくてもいいのです。
思い描いてみましょう。
宇宙はただ完璧に運行しているのです。
そして、あなたが自分の邪魔さえしなければ、すべてが成功に向かっているのです。
それを信頼して、すべてのことはあなたほうにやってくることを知っていてください。
同 p.403
最近は、ずいぶんと朝晩も冷えるようになってきました。
何もしなくても、季節はめぐっていきます。
季節がめぐることを疑わないように、世界に信頼を送りましょう。
そうすると、「コントロール」は自然と緩んでいきます。
今日は、「コントロール」の心理について、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
〇大嵜直人のカウンセリングの詳細・お申込みはこちらからどうぞ。
※ただいま12月度の個人カウンセリングを募集中です。
〇カウンセリングのご感想のまとめはこちら。